■遊びの手法
 

■児童館・児童クラブにおける作業療法 2010年5月5日  ■詳細2
  ■作業グループワーク                      

■児童クラブ運営論■作業を通したケースワーク
■子どもからのあれこれ
■受容共感以外の手法





   

 児童館・児童クラブにおける作業療法の展開について

 児童館・児童クラブにおいて、「遊び」を健全育成の主軸においているのは、たぶんに児童ケースワークにおける遊戯療法が、念頭にあるのではないかと私は感じている。児童虐待や児童放棄の状況に置かれた子どもの場合は、遊戯療法が有用であろう。しかしながら、昨今の恵まれすぎた状況におかれ、自己中心でわがままな子どもの増加、そして少子時代で子どもがあまりにも「優遇」されすぎた時代では、はたして遊戯療法が良いかは問題となるのではないかとここ1年くらい感じていた。
 児童ケースワークの中には遊戯療法だけではなく、作業療法もある。音楽療法・絵画療法・箱庭療法・運動療法もある。このように考えると今時の子ども達にはときに作業療法を提供することも必要ではないかと思うのである。

 不登校の子どもを受け入れる場合で考えてみよう。一般的に、学校に行けない子どもを受け入れた場合に、午前中は学習をさせたり、遊ばせておけば、子どもは大人との対応に満足して、なお学校に行かなくなるかもしれない。そこで草取り・ガラス磨き・清掃・後片付け・木の剪定・工作材料準備などの作業をさせる。作業の結果、いくら小さな子どもでも多少の成果をあげてくれる。そこで「頑張ってやったね」と褒めることになる。自尊心が高まり、子どもの中にエネルギーがたまるであろう。たんに遊ばせたり、学習したりだけであるならば、登校していた子どもから「ずるい」等の非難をあびることもある。でも作業であるならば、「あなたも学校へ行かないで草取りをしたいならしてもいいよ」とこちらが居直ることも可能である。

 先週の土曜日(平成22424日)職員5名と児童80名・保護者8名ほどで自然科学館へ出かけた。私は留守番をしていたのですが、合唱部の活動で自然科学館に行けない女の子が4人、遅刻をした等で残っていた男の子が8人、中学生が3人いた。私はお父さん達のボランティアを動員して、松の剪定をしていた。子ども達に剪定した松の木から葉をとって、ゴミ袋に詰めさせる作業をさせた。午前10時〜1130分までの作業で、90リットルのゴミ袋に20袋も出た。そしてすっきりときれいになった。子ども達には褒めてあげてローソンのカラアゲクンをプレゼントした。子ども達はとても喜び、「やったなあ」などと話していた。この場合に、自然科学館へ遊びに行った子どもと残って作業をした子どもを比べた場合に、どちらが自主性・社会性を高め、健康管理・安全管理・情緒の安定をし、活動への意欲と態度の形成になったかは甲乙付けがたいのである。私には、どちらかと言えば、残った子どもの方が社会に貢献できたとの自尊心を高めた分だけ、得をしたのではないかと思うのである。

 作業の具体的な内容

児童館・児童クラブの活動において、「遊び」だけではなくて「作業」を取り入れるべきであると私は最近、強く感じるのである。子ども達は自分自身の存在が、社会に役立っていると感じるときに、自信を付けていくものである。
 児童館・児童クラブの職員にとってみても、たんに子どもの遊び相手では、地域の中でそんなに認められないであろう。子ども達と一緒に、児童館・児童クラブの周囲やいつも遊びに行く公園のゴミ拾いや草取りをすれば、地域の方々もその存在を認めてくれるであろう。そんな風に私は考え始めています。

私達の仕事にいつも必要なのは、信念や理念ではなくて、具体的な手法である。具体的に何をやったら効果があるかを考え、提案しないで、理念的・観念的・思念的・信念的な主張を言い合いしても始まらない。作業療法的・行動療法的な具体的な対応を提案してみたい。

あいさつが大切だ。「おはようございます」「ありがとうございます」「失礼します」「すみませんでした」などの基本的な挨拶ができることが必要である。この場合に、指導員等がフレンドリーに「おは」などというと、小学生低学年の子どもは,それが普通であると思ってしまう。ですから小学校低学年の子どもには、きちんと「おはようございます」のございますまで言う必要性がある。鸚鵡返しで物事を覚える時期にきちんとした日本語を伝える必要がある。
 これは私の職場の運営委員会において、運営委員である小学校の校長先生から教えてもらったことである。校長先生が中学校から小学校に転勤をしたときに、中学生は「おはよう」と言うと「おはようございます」と答えるけれど、小学生は、「おはよう」と答える。そこで、小学生にはきちんと「おはようございます」と言うことが必要であると、先輩の小学校の先生に教えてもらったのだそうです。

 食べる時に「頂きます」「ご馳走様でした」と言うことも大切だ。また食べ終わった後に、皿などを洗ってもらう時は「お願いします」をいうことも必要である。ケンカをして自分が悪かったら、「ごめんなさい」「すみませんでした」も大事です。「貸してください」「ありがとうございました」などが言えない子どもも増えている。また、電話にしたり出るときは自分の名前を名乗ることも必要なことである。このようにきちんと挨拶が出来ることは、社会の中ではとても大事なことである。

戻ってきたら、「ただいま」「おかえりなさい」とのことになるが、行動のパターンで考えると、傘をきちんと留めて傘たてに奥の方から入れる。靴を靴箱にきちんと入れるなどが必要となる。またカウンターで、自分の名前を楷書体できちんと記入し、登館時間をアナログ時計で記入することも大事である。アナログ時計が読めない子どもがいたら、教えてあげるようにすることも大切だ。このことで仲間作りができる。

クラブ室ではかばんをきちんとロッカーに入れるようにする。同時に、宿題を無言でやるようにする。音読の宿題はクラブ室とは別のところでやればよいだろう。

トイレのスリッパをきちんと揃えること。揃っていないスリッパを友達のものであっても、揃えてあげることも作業の一つである。玄関の靴が靴箱からはみ出ていたり、出しっぱなしになっていたら、靴箱に入れたり、揃えたりするのも作業の一つである。

遊戯室ではゴミが落ちていたら拾う。ボールが転がっていたら、ボール入れに入れる。縄跳びは四つに折って縛っておくことも作業だ。のぼり綱や遊具の順番を守って遊んだり、多数が遊んでいる時に、上級生が下級生や乳幼児に危険がないように配慮することも大切である。下級生も上級生との関係性を配慮することが必要である。

集会室では、オモチャやブロック・カプラ・ドミノ・おうさま将棋などなどの遊び用具を使ったら、きちんともとに戻しておくことが大切。他人の出したものを、片付けてあげるのも作業の一つである。壊れて遊具を修繕したり、椅子などの修繕のお手伝いをしたりするのも作業である。図書室で本をきれいに整理したり、切れた本をテープで修繕するのも作業であろう。

清掃においては、口を閉じて、アイコンタクトを基本として作業することが基本であると、私は思っています。大きなゴミを拾う・ほうきでゴミを集める・机や遊具を動かしてすみを清掃できるようにする・ガラス磨きをする・掃除機をかけるなどなど、いろいろな作業をきちんとできるようにすることが大切です。ゴミ箱からゴミを集めて大きなゴミ袋に入れ、ゴミを捨てに行くのも仕事です。常日頃にゴミの分別の徹底が出来る人になるように働きかけることは大切です。月に一回程度は大清掃をすることも大切です。外のガラスはホースで水をかけてきれいにする・中からはガラス拭きをする・各部屋を雑巾かけをする・すす払いをする・靴箱の中をきれいにする・蛍光灯を磨くなどなど仕事はたくさんあります。子どものレディネスにあわせて実施することが必要です。

環境整備と安全管理は、子どもと共に働くチャンスです。雑草を抜く・ゴミ・石・松ぼっくりなどを拾う・花に水やりをする・木の余計な芽を掻く・クローバーや花植えをする・花を切り取ってきていけるなどなどいろいろな作業があります。こうした作業を通して、いろいろな用具の使い方を覚え、また自分自身の力できれいにしたことを褒めてあげれば、自尊心はぐんぐん高まっていきます。作業は一人でやるのではなくて、助け合いでやることが多いものです。草をとる人・集める人・袋に入れる人・捨てにいく人などの協働作業となります。当然、社会性が身につくことになります。スポーツ等の協同では、下手な人が上手い人の足を引っ張ることがありますが、環境整備においては、そうした足の引っ張り合いがないので、仲間作りが容易です。近くの公園等に出かける場合は、たんに遊ぶだけではなくて、自治会や町内の人たちと協働して、ゴミ拾いや草とり等を実施すれば、児童館や児童クラブの活動が、その施設内にとどまらないで、地域つくりへの貢献となり、地域の人たちが、児童館児童クラブの応援をしてくれることへとつながることでしょう。

おやつの時間でも作業があります。おやつ準備・おやつ配り・おやつが終わった後の後始末などたくさんの仕事があります。子どもが出来ないこともありますが、上手い具合にお手伝いをしてもらうことが必要です。おやつを買うお手伝いなども、子どもはとても喜びます。子どもがたんにおやつを食べる存在ではなくて、おやつを通してみんなに役立つ存在へと伸ばしていくことが出来ると思います。

工作も子どもを遊ばせるだけではないことが大切と思います。近くのコンビニから頂いてきたチラシを、カール(危険でない裁断機)で正方形に裁断すれば、立派な折り紙ができます。この折り紙を使って、ユニット折り紙で花瓶敷きやくす玉などができます。落花生のゴミ入れなどもできます。ドングリ拾いをして工作の材料を集めたり、押し花などを作って工作材料を準備することも出来ます。子どもを工作で遊ぶ存在から、工作の準備をして後片付けをする存在へと飛躍させることが大切と私は思います。工作用具をきれいにする(例えば鋏をアルコール消毒綿きれいにするなど)のも作業です。

ローラースケート・キッカーボード・縄跳び・ボール遊びでも、整理整頓して修理をしたりすることもできます。ローラースケート場を清掃する・マツバを集める・靴ひもを取り替える・低学年の子どもに靴をはかせてあげる・靴や椅子を片付けるなどの仕事もあります。

作業におけるいくつかの注意事項

遊戯療法と作業療法を比べた場合に、作業の方が目に見える形で成果があるので、褒めることが出来るのが効果的であると思います。作業をたんに義務として命令してさせるのではなくて、褒めてあげることが必要なのです。しかしながら、ご褒美を安易に提供してばかりいると、「お手伝いをするから何かちょうだい」と言い出す子どもが出てきます。まずご褒美ありきではないことを、自覚しておくことが必要です。「本当にきれいになってありがとう。」との褒め言葉で、終わることも必要ですし、ときにはあえて無視することも必要です。ご褒美がハグハグであることもあるでしょう。行動療法の観点から考えてみると、「良いことをやったら褒め、悪いことをやったら叱る」ということだけでは良い行動が強化され、悪い行動が減るわけではないのです。褒めたり、叱ったり、ご褒美が出たり、罰が出たりすることは適度なバランスが必要です。何よりも毅然たる指導者の甘えではない愛が必要なのです。

人間という動物は、常に変化を求めている動物であることを知っておく必要があります。ある作業をしたら、いつも同じご褒美が出るというのでは楽しくないのである。そこで、ある作業に対して一般的なご褒美の時もあるし、思わぬご褒美であることもあるというのが、ドキドキして楽しいものであるように思います。ご褒美は次第に物的なものから精神的なものへ、低いレベルのものから高いレベルのものへと変容させていくことが、基本として考える必要があると思います。

小学校13年生の集中できる時間は、20分から30分です。概ね30分以内で作業を終わらせるように、考えておくことが必要です。作業用具などの準備や後片付けは、集中時間の長い職員やボランティアや高学年の子どもがやればよいと思います。

作業と遊びとの関係を考えてみますと、土曜日や学校休業中のように朝8時から午後6時まで10時間もいる場合なら、作業302回の1時間・学習1時間・昼食やおやつで1時間・集団遊び指導等で1時間が2回で2時間・テレビ等の視聴で親の帰りを待つのが1時間・残りの4時間が自由時間となり、その中で上手い具合に子ども同士の時間を過ごすことになります。放課後から4時間程度いる場合であるならば、作業30分・宿題30分・おやつ30分・遊びの集団指導30分・自由遊び90分・親を待つのが30分となります。

遊びの集団指導とは、職員やボランティア等が子どもの遊びの集団指導をするもので、本来的な遊びとは私は違うと思っています。50人以上の子どものローラースケート指導・ドッジボール指導・サッカー指導・外遊び指導・工作遊び指導・ダンス遊び指導・おうさま将棋指導・カプラ指導などがあります。子どもは子どもだけでは遊びの内容を発展させることができない場合があります。ヴィゴツキーのいう最近接領域に該当する次の段階を示してやることが必要となります。私は、遊びを通しての健全育成よりも、作業を通しての健全育成の方が最近、価値があるように考えています。しかしながら、子ども達が、子ども達同士の切磋琢磨の遊びの中で成長する存在であることを否定しているわけではありません。ですから、児童館・児童クラブの職員は常に好奇心を持って、新しい遊びを発見・発明し、子ども達に伝えてたり、子ども達の遊びから学んだりする必要性があります。遊びの集団指導とは、そうした遊びを集団に伝えていくことです。遊びの集団的指導で学んだことを、子ども達は利用し、発展させて自分達の自由遊びの中で子ども同士の関係性を伸ばしていくのです。

児童館・児童クラブの活動の中で、子ども同士の遊びが半分近く占めていることは事実ですし、そうであるべきでしょう。しかしながら、このときに、児童館・児童クラブの職員は、子どもと一緒に遊ぶのではなくて、危険がないように見守ったり、子ども同士の関係性がまずくなった時に、上手くサポートすることが大切であると私は思うのです。職員が一緒になって遊んでいては、全体の安全管理をすることはできないのです。50人以上の(30人でも良いけれど有明児童センターにおいては50人以上の)子どもの遊びの集団的指導において遊びを指導することが大切で、5人〜10人の子どもの自主的自発的な遊びにおいては、見守りや声かけや遊べない子どものサポートや仲間作りが、職員には必要とされているのです。そうでなければ、遊んでお金がもらえる楽な仕事に成り下がってしまうのです。

遊べない子どもは、遊ぶエネルギーがまだまだ不十分な子どもであるとも言えるでしょう。こうした子どもの遊び相手をしていれば、子どもは子ども同士で遊ぶよりは、大人に依存してしまいます。周りの子どもは「○○ちゃんばかりえこひいき」ということになるでしょう。逆に遊べない子どもをかまわないで、遊べる子どもの遊び相手をして「職員気分」を満喫している「職員」もいます。作業を取り入れて、遊べない子どもと一緒に縄跳びの片付けなどをやります。トムソーヤの冒険で有名なトムのように楽しく作業をすれば、子ども達は作業の仲間に入ってきます。そしたら遊び仲間を作って、遊べない子どもも一緒に遊ばせるようにすれば良いのです。仮に縄跳びの後片付けをしていても、遊び全体を見守ることはできます。人間には手が作業をしていても別の仕事もできるとの能力があるのです。 多重知能理論 放送大学院の発達心理学特論で多重知能理論に出会うことができた。知能は一つではなくて概ね7つのモジュールになっているという。論理ー数学的知能・言語的知能・身体ー運動的知能・音楽的知能・空間的知能・個人内的知能・対人的知能である。これらの知能は関連性を持ちながら相互の独立したモジュールであるという。運転をしながら、音楽を聴きながら、他の人と話ができるのはこうした知能がモジュールとして独立しているからだという。逆に一つのモジュールの中では同時に二つのことはやりにくいという。自動車の運転をしながらカーナビを捜査することが難しいことの所以でもあるらしい。つまり、実際にドッジボールをして職員が遊んでいたら、他の遊びが危険であるかは見えなくなるのである。ごみ拾いとか、縄跳びの片付けとか、ボールの片付けとか草取りとかある程度オートマチックに作業ができるようになれば、作業をしながら、子どもの遊びの見守りも可能となる。しかしながら、野球をしていたら、のぼり綱での危険な様子はチェックできないのである。このように考えてみると、遊びの集団的な指導をすることと、一緒に遊ぶということは全く異質なものであることがわかるであろう。水泳をすることと水泳の見守りをすることは一緒に出来ないのである。児童館の職員の正式な名前が「遊びを指導する者」となっていることの誤解が、子ども遊び相手をしていれば良いとの誤解となっていると私は感じている。(児童厚生員=児童厚生施設において児童の遊びを指導する者であり、保育士・教諭の有資格者または大学において心理学、教育学、社会学、芸術学、体育学を専修する学科もしくはこれらに相当する過程を修めて卒業した者等とされています。)

児童館・児童クラブの職員の資格について
 
 児童厚生員の資格についても、考えてみる必要性があると思う。児童厚生員の資格は、教諭や保育士の資格等があればよいことになっている。医師免許や自動車運転免許のように、資格がなければ医療行為をしたり、運転をしたり出来ないという資格ではない。教諭免許や保育士免許がなくても、人間は、自分の子どもや他人の子どもを教えたり、保育をしたりしている。私は、児童厚生員の資格は、調理士の資格のようなものだと思う。つまり、調理士の資格がないと営業をすることができない。しかしながら料理は誰でもができるのである。そして、調理士の資格があったからといって、料理が上手くて商売が成功するとは限らないのである。むしろ調理士の資格はないけれど、美味しい料理を作る人はたくさんいるのである。しかも、昔から比べれば、調理の経験は多くなっている。ところが、子育ての経験は少子時代となり、極端に少なくなっている。子どもの発達心理学などを学習しても、昔と比べて子どもとのふれあう経験が少ないから、本当の学習が出来ていないのである。例えば、男の子は言語能力において女の子よりも1年から3年は遅れている。発達心理学において、男女の平均値のような言語発達の話があっても、現場に出れば「男の子は言葉の出るのが遅いから、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」位のアドバイスはできた。しかしながら、下手に発達心理学を学んでいるために「お宅のお子様は言語が遅れているように思われます。」とアドバイスをしてしまう。子育て経験のないお母さんが、びっくりして過保護または過干渉の指導をしたり、下手な子育てアドバイザーにもてあそばれて、子どもが二次的障害を起こしてしまうのである。これでは健常である子どもをわざわざ障害児童にしていることになる。このように仮定してみると、児童館・児童クラブの職員は、常に研鑽をする必要性があるように思う。その努力を怠るならば、美味しくなくてつぶれていく料理店に、児童館・児童クラブはなってしまうのではなかろうか。そんな危機感を感じるこの頃でもあります。


平島公園クラブの活動

私は20年前に、新潟市西区平島一丁目に転居してきた。実家に歩いて行ける距離であることと近、くに広い平島公園があったからである。20年前の平島公園は草茫々でトイレが臭い・除草剤で茶色・風が吹くと砂埃の公園であった。平成6年に平島一丁目自治会が、平島自治会より分離独立したことに伴い、平島公園(平島児童遊園)の児童厚生員に新潟市長より任命された。そこで平島公園をきれいにする会を、平島公園の向え側に住んでいらっしゃった元新潟県女性児童課長であった湯本さんと設立して、公園緑化に取り組み始めた。当時は月に1回の除草活動をしていた。徐々に平島公園がきれいになっていった。この活動が認められて、平成10年に平島公園クラブとして、新潟市より地域組織活動の補助金を年間189,000円いただくことができるようになった。国庫補助による地域組織活動は、親子及び世代間の交流・文化活動・児童養育に関する研修活動・児童の事故防止活動・その他児童福祉の向上に寄与する活動を行うことになっている。一般的には児童館と連携して、親子交流活動や遊び場点検そして子育て研修会などを実施している。

10年前には、親子交流活動をやる必要もあるのではないかと思った。日曜日などに紙飛行機作りやドングリストラップ作りなどをやってみた。しかしながら、あまり上手くいかなかった。そこで、居直って平島公園をきれいにする活動に限定してやってみた。次第に公園がきれいになり、子ども達がたくさん集まってきた。集まってきた子どもに、遊びを指導するのではなくて、ゴミ拾いや石拾い・草取り・草集めなどのお手伝いをしてもらうようにした。この方が、子ども達は喜んでやってくれる。遊びは子ども達で自由に遊んでいるから、そんなに声かけの必要が無い。でも遊んでいる時に「ちょっと水やりのお手伝いして」などと声かけると、みんなが手伝ってくれるようになったのである。近くのジャスコの黄色いレシートキャンペーンがあり、そのキャンペーンに応募をすると、チョコレートや飴を購入する費用を出してくれる。その飴やチョコレートなどをご褒美に提供したりしている。毎月第1・3日曜日に朝7時から8時半まで草取り活動を実施している。草取り終了後に、地域組織活動補助金を活用して、お茶会や朝食会なども実施している。年間延べ4000人ほどの参加者となっている。作業から始めたほうが、地域の健全育成はやりやすく、しかもみんなに感謝されることになる。

 最後に

もとに戻って考えてみると、児童館・児童クラブの職員、はグループワーク的な手法を使って遊びの集団的指導をすることが大切であるだろう。しかしながら、それは一緒に遊ぶ事とは違うことをしっかりと理解しておく必要性がある。同時に、問題行動等を抱える子ども達を相手にする場合は、遊戯療法よりも作業療法が小学生期の子どもには有効であると思われる。その作業療法を拡大していけば、地域作りや、花と緑の遊び場環境つくりへと発展し、児童館・児童クラブの目的である、子ども同士の切磋琢磨を通しての健全育成にも確実につながると私は思うのである。
 もう一つ考えられることは、高度成長期において「消費は美徳」的な考えがあった。今の子ども達は、その時代に生きてきた人たちが親である子ども達であるとも考えられる。しかしながら、「消費は美徳」「使い捨て文化」的考え方は、人間と自然の共生との考えからすれば、問題とされるものではないだろうか。むしろ、生産的な文化を押し進めることが必要ではないだろうか。除草剤を撒かないで手で雑草を抜き、クローバーや花を植えれば、二酸化炭素を減らして酸素を増やすことができる。酸素を一方的に消費する存在である人間は、植物の手を借りて酸素の生産者になる必要があるのではなかろうか。刹那的消費文化に惑わされることは、幼児・児童・青年期の子ども達に、悪影響を与え始めていると私には感じられる。たんなる遊びから生産的な作業を取り入れることは、子ども達に生きる力や能力を培うことになるのではないかと私は思う。ゴミを捨てる対象からゴミを拾う対象へと飛躍できるのではないかと私は思う。
 提案をまとめてみると、児童館・児童クラブにおける活動では遊びの集団的な指導として(グループワーク)が必要である。また作業を使った集団的指導(グループワーク)も必要である。ケースワークにおいては遊びよりも作業を上手く取り入れることが良いのではないかということになると思う。百の理論よりも一つの実践が大切であると思う。実際の活動をやってみることが大切ではないか。


■ホームトップ