■遊びの手法
 

■作業を使ったケースワーク 2010年5月6日  ■詳細2
■作業グループワーク                        

■児童館・児童クラブにおける作業療法■児童クラブ運営論
■子どもからのあれこれ
■受容共感以外の手法





   

 

作業を使ったケースワークの展開過程について

 

 始めに

 私は児童館・児童クラブにおける健全育成活動において、遊びだけではなくて、作業を上手く取り入れていくことが必要であると考え始めている。児童館・児童クラブにおける集団援助活動(グループワーク)では、遊びは重要である。同時に作業も大切である。個人援助活動(ケースワーク)においては、遊びよりも作業の方が効果的であると私は最近の実践から感じている。そこで作業を通してのケースワークの展開について考えてみたい。

 

具体的な事例

 小学校1年生女子児童Aちゃん 新1年生が40人ほどクラブ員として入会して活動を始めた。他の子ども達は同じ保育園から来ているので、比較的に仲が良い。Aちゃんは別の幼稚園から小学生となり、その幼稚園からはA小学校に行く子どもが少なく、児童館(児童クラブ併設)へもクラブ員としては2名しか在籍していない。学校でも幼稚園が一緒の子どもが少なく、泣いていることが多いという。これが挫折型不登校となり、学校に行けなくなるのは私の経験智から多いことである。

 放課後になると幼稚園が一緒の子どもと学校から児童館へ戻ってくる。児童館へ登館後は学習タイムとなるので、みんなと一緒に宿題をしたり、言葉遊びをしたりしているので問題がない。しかしながら、2年生や3年生の子どもたちも帰って来て、人数も140人くらいとなり、宿題も終わり、自由遊びとなると、みんなと一緒に遊べないために、お母さんが恋しくなって、泣き始めることが多くなってきた。

 

作業を通して元気になる働きかけ

 こうした場合に、一般的には「大丈夫。お母さんは必ず迎えに来るからね」などと声をかけてしまうことがありますが、ほとんど効果がありません。逆に思いがそっちにいってしまって、逆効果になることがあります。また、「みんなと遊ぼう」みたいな提案も受け付けてくれることがありません。一番大切なのは気分一効果の理論を使って、違った気分にさせることです。面白い・楽しい・おかしい・美味しいという気分と悲しい・苦しい・寂しいの気分は同居できないというのが、気分一効果の理論です。

 「Aちゃん。これから先生は折り紙作りをしなければならないのだけれど、手伝ってくれる」当然返事がありません。そこで「Aちゃんが手伝ってくれない。嫌だ。嫌だ。」などと大泣きをして見せます。大の大人が泣くのを見て、Aちゃんは思わず笑ってしまいます。この時にお母さんに会いたいとの寂しい気持ちは隠れてしまうのです。可笑しいことにもっていかなくても、美味しいことにもっていくこともあります。「実はチョー美味しいお菓子をもらってあるのだけれど食べる?」なんて言って、美味しいお菓子を出してあげれば、子どもは楽しくなってしまいます。ある意味では料亭政治みたいなのもこの一種なのでしょうが。

 

作業への展開

 気分一効果の手法を使って、元気になったあとに、遊びへと誘導することも出来ますが、児童館・児童クラブの職員は多忙です。それに特定のAちゃんとばかり遊んでいると他の子どもにねたまれるでしょう。そして、Aちゃんへのいじわるにつながるかもしれません。小学校低学年の時期に「いじめ・いじめ」と騒ぐのは間違いです。本来のいじめみたいなことは思春期へとの移行時期にあるものです。低学年時代のいじわるみたいなものはあります。そしてそれが根の深いものにしないように働きかけることは大切ですが、いじわるみたいなことを全面的に禁止するとかえって問題が深くなることが多いことを考えておく必要があります。そこで遊びへではなくて作業へと活動を持っていくことが必要であると思います。作業であるならば、特定の子どもの贔屓にならないし、児童館・児童クラブ職員として、子どもの見守りをしながら、工作等の準備活動もできるからです。ガードナーの多重知能理論によれば、人間の注意が出来ることは、論理数学的知能・身体運動的知能・空間把握知能・言語的知能・音楽芸術手知能・個人内知能・対人的知能の概ね7つの知能なのですが、この知能は連携しつつも基本的には独立していると考えられています。作業と遊びを見守ることは一緒に出来ますが、遊びながら見守ることは難しいのです。そのように思わないなら実際に子どもと本当に遊びながら、見守りが出来るか試してみることです。実際に指導員が遊ぶと身体運動的知能と空間把握知能を使わなければなりません。見守りは空間把握知能と論理数学的知能が必要です。ですから、空間把握機能が一緒なので遊び相手と遊びの見守りは両立しにくいのです。作業は身体運動的知能と論理的知能が必要です。しかし、身体運動機能をオートマックにすることができれば、空間把握機能は別途に機能しますから、作業をオートマチックにすることが前提で、作業と見守りは一緒に出来ると私は思います。

Aちゃん。実はこの後、工作をするのに、折り紙を裁断したいのだけれど、手伝ってくれる」「何。手伝ってくれない。美味しいお菓子を食べたのに、手伝えない。ぎゃおーぎゃおー」なんて面白おかしくやれば、たいていの子どもは「手伝います」というものです。

 そこでコンビニからもらってきた長方形のチラシをカール(安全な裁断機)で正方形に裁断する作業を始めます。私はカールにy=−xの斜めの線を引いています。この斜めの線に角をあわせて、カールの紙押さえをとめます。そして手で押さえながらカッターを引くと10枚程度のチラシが正方形に裁断されます。

Aちゃん。このゴミをゴミ箱に捨ててちょうだい」「とても助かる」などといいながら作業をしています。もちろん作業をしている場所は児童クラブ室です。その場所ではオニムや人生ゲームやおうさま将棋・お絵かきなどで20人くらいの子どもが自由遊びをしていますので、職員はその子ども達にトラブルや危ない行為がないかを見守りながら作業をしています。(この時に他の子ども達は20人くらいの子どもは図書室で本を読んでいて、体育館では40人くらいの子どもが遊んでいて、ローラースケートをしている子どもが30人くらいいて、外遊びをしている子どももたくさんいます。職員はそれぞれ分散して自由遊びの見守りをしている状況です。)

 Aちゃんも自分でも裁断をしたくなってきます。そんな風に見えてきたら、「やってみる」と声かけをします。上手くできたら褒めたあげたりしていると、他の子どももやりたそうに見てきます。そこでカールをもう2台持ってきて「やりたい人はやらせてあげるよ」などと言うと他の子どもたちも喜んでやり始めます。

 

ケースワークからグループワークへ

 児童館・児童クラブの活動において大切なことは常にケースワークがグループワークへと発展していくことだと私は思っています。仮にケースワークを専門にやるとするならば、専門家として臨床心理学を学び、ある程度臨床心理のプロを目指すくらいの覚悟が必要であるでしょう。ケースワークとは問題行動を抱える相手をするわけですから、中途半端にはできないという覚悟が必要なのです。というのはケースワークのある意味の原則は人間の中にある魑魅魍魎まで引き出すわけですから、その魑魅魍魎と対決できる覚悟が無ければ、「ごめんなさい。私にはあなたの気持ちは理解できない」と正直に話すことが必要です。それが出来ない人が受容共感的態度で、なんでも解決できるかのような誤解はなくすべきです。このように考えてみると、作業療法や遊戯療法で、ある程度ケースワークが出来たとしても、それ以上の発展は、ケースワークではなくてグループワークにゆだねることが大切なのではないかと私は思います。自分が責任をもって出来ないならば、他の仲間に託すのが基本です。それが日本人の基本的な考え方ではないでしょうか。児童館・児童クラブの職員の力量を考えてみても、ケースワークに全部を託すのではなくて、ある時からグループワークに委ねることが現実的な手法であると私は感じています。

 具体的に展開から考えるならば、上記の長方形のチラシをみんなのために正方形に裁断するとの作業療法は、自由に遊んでいる子ども達の興味をひきつけて、作業活動がケースワーク的な活動からグループワーク的な活動へと変容させることによって、ケースワークの対象であったAちゃんの活動からみんなの活動へと変容していくのです。そしてその変容のプロセスは、Aちゃんと職員の関係からAちゃんを中心とした仲間作りへと発展していくのです。つまり、Aちゃん個人の作業が仲間全体の作業へと発展することになります。

 

 作業のグループワークから遊びのグループワークへ

 作業とは大人や指導員から与えられた課題もしくは生産的な課題を達成することであるかもしれません。それに対して遊びは必ずしも目的性のある活動ではないでしょう。ある意味では目的性の無い活動だからこそ、人間にとって必要なのかもしれません。児童館や児童クラブの職員にとって一番に必要なことは、作業的なグループワークから子ども同士の遊びへと無意識的な転換を意図的にすることではないかとも考えられます。

 長方形のチラシをカールを使って正方形に裁断する作業が次第に、仲間を巻き込んだグループワークになります。その後に「みんな頑張ってくれたね。ありがとう。お礼に折り紙を使って好きな折り紙を折っていいよ」との提案をします。そして折り紙の折り方の本などを自由にできるようにすれば、Aちゃんを含めて、自由遊びの和が広がっていくのです。この時にAちゃんを元気にしてくれたのは、作業を一緒にしてくれた子ども仲間であり、遊び仲間なのです。そして職員はあまり目にとまらないサポーターでしかないのです。つまり、児童館・児童クラブの職員は児童健全育成の主体ではなくて、あくまでもサポーターなのです。その立場を自覚しないで自分が主役になろうとすると厄介な問題が生じるのではないでしょうか。

 

 再び、ケースワークへ

 人間は社会的な動物ですから、仲間の中でしか上手く育つことは出来ないようです。つまり人間の発達の中でケースワーク的な手法をこうじて社会的な能力を高めて、みんなとなかよく楽しく生活する能力を高めることが必要となります。しかしながら、それは同時にもう一度自分を見直す機会をきっかけになるのではないかと私は思います。ケースワークの必要な子どもが作業療法を経て作業グループワークの仲間となり、遊びのグループワークの輪を広げ、また自分自身の生き方に戻っていくのではないかと思います。つまり、個人から集団へそして集団への自主的な活動へそしてまたさらに高い自主的な活動へと飛躍していければなあと個人的に思うこの頃です。


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