村上ファンドの事件で思うこと
為替王さんの6月11日の記事で、「会社は誰のものか?」という話が出ておりました。村上ファンドの思想として、「会社は株主のものであり、株主価値を最大限に高めることが企業の勤めである。」というものに対するコメントとなっております。
僕は、「会社は利益を上げる仕組みであり、誰のものでもない。」という考え方を持っていて、「株主は資本を提供し、取引先は在庫・サービス・金銭等を提供し、従業員は労働力を提供する。経営者はそれらの資源を有効活用する。」
当然すべての利害関係者が、提供したものに対する見返りを求めているわけです。取引先は代金の回収(利益を乗せて)をするし、金融機関であれば金利を取ります。従業員は給料をもらい、役員は報酬をもらい、資本家であれば儲けから配当(キャピタルゲインも)をもらおうとするわけです。
でも注意深く見てみれば、資本家以外は最終的な利益(未処分利益)になる前に分け前をもらっているわけですよね。
資本家は、すべての経営活動を通した、最終的な利益からしか分け前が貰えないのです。
堕落した従業員、マネージメントしない経営者、いい加減な取引先、でもしっかり分け前は懐に入っている。
そんな利害関係者のために、大切な資本を提供しているわけではないと思うのです。
当然資本家はそれらのリスクを承知した上で資本を提供するのですが、盲目的に「金は出す!後は任せた!」では引き受けるリスクに見合いませんし、効率的な運営が出来ているかわかりません。
「会社は誰のものか?」ではなく、経営者は効率的なマネージメントを考え、取引先を選別し、従業員は生産性をあげる。
資本家はそれらが効率的に運用されているのか確認を求める。
そういうことからすると、会社は誰のものでもなく、資本を効率的も運用する経済の一つの仕組みとも考えられます。
僕は今勤めている会社の従業員でも有り、株主でもあります。
たまに二日酔いで仕事をしないこともありますが、すべての従業員が毎日同じ事をしていると思うと怖くなります。
いい加減な取引先があれば、もっといいとこ探そうとします。
「がんばって上場を目指したい!」と考えてみたりもします。
物言う株主というのは当たり前の話で、自分が出したお金が有効に活用されているのかどうかは、気になって当然です。
ただ物が言えないのは、案外「無知だから言うべきことが分からない」ということだったりするのかもしれません。
そういう意味では村上ファンドに功績はあると思います。
僕ももっと勉強しなくてはいけません。
この辺の話は、板倉雄一郎事務所を参考にしてみてください。