スタンダードジャズの歌は、いつも私達に寄り添うかのように、心に響きます。
好きな歌が沢山あって、選ぶのに困りますが、少しずつご紹介したいと思います。
■Everytime we say goodbye
Cole Porter 1944年
いつもさよならを言う度に
少し泣いてしまう
いつもさよならを言う度に
なぜかしらって思う
天にいる神様は
何でもご存知なのに
なぜ私のことを考えてはくれないのだろう
なぜ愛する人を行かせてしまうの
あなたが側にいると
柔らかな空気が漂い、優しい春の気配
空のどこかでヒバリが高く飛んで
さえずりが聞こえてくる
何より素敵な愛の歌
でも突然変わってしまう
あっという間に、長調から短調へ
いつもさよならを言う度に
少し泣いてしまう
いつもさよならを言う度に
なぜかしらって思う
天にいる神様は
何でもご存知なのに
なぜ私のことを考えてはくれないのだろう
なぜ愛する人を行かせてしまうの
あなたが側にいると
柔らかな空気が漂い、優しい春の気配
空のどこかでヒバリが高く飛んで
さえずりが聞こえてくる
何より素敵な愛の歌
でも突然変わってしまう
あっという間に、長調から短調へ
いつもさよならを言う度に
アメリカの巨匠Cole Porterが手がけた、ブロードウェイ"Seven Lively Arts"の挿入歌。
Cole Porterの作る歌の歌詞は、皮肉っぽいものも有りますが、この歌はストレートで解りやすく、メロディーも淡々と、でもそれだから物悲しさを引き出しています。
ケビン・クライン主演映画の‘五線譜のラブレター’の中では、Natalie Coleが歌っています。
その他にも色々なボーカリストが歌っていますが、私はIrene Krallの歌で初めて聞きました。 悲しい歌なのに、わざとらしくなく、語りかけて、聞く者の心に響きます。
Cole Porterの作る歌の歌詞は、皮肉っぽいものも有りますが、この歌はストレートで解りやすく、メロディーも淡々と、でもそれだから物悲しさを引き出しています。
ケビン・クライン主演映画の‘五線譜のラブレター’の中では、Natalie Coleが歌っています。
その他にも色々なボーカリストが歌っていますが、私はIrene Krallの歌で初めて聞きました。 悲しい歌なのに、わざとらしくなく、語りかけて、聞く者の心に響きます。
■I've grown accustomed to his face
Alan Jay Lemer/Flederick Loewel
あの人の顔に慣れてきた
まるで1日はあの人で始まるかのよう
あの人が夜や昼間に口笛を吹く歌に、慣れてきた
あの人の笑顔、怒った顔、恍惚、憂鬱
今は私のことのように
息を吸ったり吐いたりすることのよう
以前は私一人で落ち着いていたのに
あなたと出会う前は
またそう戻れるだろうけれど
あの人の姿、あの人の声に慣れてきた
あの人の顔に慣れてきた
まるで1日はあの人で始まるかのよう
あの人が毎日言う「おはよう」
あの人の喜び、悲しみ、高まり、落ち込み
今は私のことのように
息を吸ったり吐いたりすることのよう
あの人で良かった
つい忘れてしまいそうだけれど
いつでも辞めることができる癖と同じで
漂うこの香りに、慣れてきた
あの人の顔に
まるで1日はあの人で始まるかのよう
あの人が夜や昼間に口笛を吹く歌に、慣れてきた
あの人の笑顔、怒った顔、恍惚、憂鬱
今は私のことのように
息を吸ったり吐いたりすることのよう
以前は私一人で落ち着いていたのに
あなたと出会う前は
またそう戻れるだろうけれど
あの人の姿、あの人の声に慣れてきた
あの人の顔に慣れてきた
まるで1日はあの人で始まるかのよう
あの人が毎日言う「おはよう」
あの人の喜び、悲しみ、高まり、落ち込み
今は私のことのように
息を吸ったり吐いたりすることのよう
あの人で良かった
つい忘れてしまいそうだけれど
いつでも辞めることができる癖と同じで
漂うこの香りに、慣れてきた
あの人の顔に
ミュージカルのマイ・フェア・レディの名曲のひとつ。
相手の顔を見るのに慣れるって…それに気が付くということは、きっと良い意味なのだろうと思うのです。
慣れる…は、飽きる事や覚める事とは違う。
慣れるまでの過程も大切ですが、空気のような存在になるというのは、その分時間が必要だということ。 その間、一緒にいるから慣れたと思える。それはたわいも無い事なのかもしれないけれど。そして、慣れたという事で、相手の存在の大きさに気が付くという瞬間が幸せなことなのだと、この歌を聞くたびに思うのです。
相手の顔を見るのに慣れるって…それに気が付くということは、きっと良い意味なのだろうと思うのです。
慣れる…は、飽きる事や覚める事とは違う。
慣れるまでの過程も大切ですが、空気のような存在になるというのは、その分時間が必要だということ。 その間、一緒にいるから慣れたと思える。それはたわいも無い事なのかもしれないけれど。そして、慣れたという事で、相手の存在の大きさに気が付くという瞬間が幸せなことなのだと、この歌を聞くたびに思うのです。