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遊びの手法   女の子と男の子の遊びの手法開発2(2009年2月21日) その1   その3 詳細





 
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 カプラで遊ぼう・詩の朗読・本の読み方・算数の考え方なども女の子と男の子ではずいぶんと違います。算数や理科は比較的男性性的に教えられているので女の子は苦手なことが多いようです。また小学校低学年までは女性性的な教え方が主流で男の子の落ちこぼれが多くなり、小学校高学年から男性性的な教え方が主流となり、女の子が落ちこぼれていくことが多いようです。これはとても不幸なことだと思います。小学校の低学年にも男性性的な教え方を導入して落ちこぼれを作らないようにすることが必要と思います。また算数・数学・物理等の分野でも女性性的な手法の開発が必要と私は思います。
 学級とか児童クラブにおいて最初から班編成がなされてその班が一学期間基本的に同じ班として集団行動をするというのは子ども達に多様な経験をさせることを阻害しているように私は思います。1日の流れの中で学習の時は男女別々学年も別々で行い、ローラースケートや映画を見る時はみんな一緒にみて、昼食は誰とでも自由にグループを作って一緒に食べ、おやつの時は男女別々でゆっくりと楽しみ(男の子はすばやく食べてサッカー遊びに行き)、カプラ遊びではグループもしくは個々に遊びというように多様な経験をすることが一つの班に拘ることよりも小学生期の子ども達にはとても必要なことと考えています。
 カプラで遊ぼうなどで大きなかまくらなどを作るのは女の子は大好きです。女の子はみんなで協力して楽しくやることが得意です。低学年の男の子は集団で何かを作るのは難しいですね。自分の事しか見えていないので(社会的参照能力が低下しているので)他の人の邪魔になることが多いようです。
 一人ひとりで独創的なカプラを作ることになら男の子は長けています。ちょっとでも人とは違ったものを作っては「写真に撮って!写真に撮って!」と子犬のように飛んできます。(走ってくる意)
 女の子は工作などでも基本的には模倣をしながら少しずつ細かいところで丁寧に自分らしさを見せようとすることが多い。だからある程度のイメージが湧くようなものを提供することも一つの手法です。男の子はけっこう独創的だから任せておけば良いこともあります。基本的には褒めることかな。


 




 カプラ遊びをしていると人間は破壊と創造を交互に楽しんでいることがわかります。カプラを一生懸命作った後に壊します。この壊すときの壊れていく音と様子がとても楽しいのです。にいがた南っ子ふゆまつりの時も女の子達数人と頑張ってかまくらを作ったのですが、壊す役は男の子でした。男の子は破壊が好きですね。少年マンガでもとにかく悪役が破壊しますからね。
 男の子の中には暴力性と破壊性が内在しています。内なる暴力性・破壊性をしっかりと認めた上でそれを昇華していくことが大切だと私は思います。念仏のように非暴力ばかり言っていて世の中が良くなるわけがないと私は感じています。そんなに非暴力を言うのなら全ての殺人を伴う推理小説を発刊禁止にするべきでしょう。
 ラグビー・サッカー・相撲などなどのスポーツや遊び等を通じて自己コントロールができるようにしていくことが必要と思います。

 もう一つ考える必要があるのは何のために叱るのかとのことです。
 テレビを見ていたら、茂木健一郎さんとお母さん達の話し合いがあった。その話し合いの中で茂木健一郎さんがお母さんたちに「何のために子どもを叱るのですか?」との趣旨の発言をしていた。
 「悪いことをしたから叱る」「危ないことをしたから叱る」「粗暴なことをしたから叱る」「人を傷つけることを言ったから叱る」「壊していけない物を壊したから叱る」「やっていけないことをしたから叱る」などということが考えられそうだ。  
 茂木健一郎さんは「叱るのは褒めるためである」と言っていた。私もその通りだと思った。
 職場の中で「廊下を走るな」「弱いものいじめをするな」「ボールを蹴るな」「石を投げるな」「ローラースケートをしている時は他人に触るな」「ブロックを投げるな」「マンガの本を片付けよ」などと私は叱り続けている。もちろん「馬鹿やろう」とも言う。「あんまり言ってわからないならその悪い足をもぐぞ」などともいう。けれど子ども達はけっこうついてくる。その証拠がおしっこをたれたりなどの困った時やカプラなどが上手く作れた時は私の元に報告にきたり助けを求めてやってくる。
 叱るとは子どもを最終的に褒めるための手段であることを私は感じていた。茂木健一郎さんがそのことを上手く表現してくれたことに私は感謝している。
 叱るという行為を褒めるためにあると考えると危険な行為や粗暴な行為につながる一歩手前で強くしっかりと叱ることが必要となる。そして実際に危険な行為の結果例えばガラスが割れたとか怪我をしたりした場合に叱ることはなくなる。子ども自身は結果を見て反省しているし、ダメ押しで叱っても効果はないであろう。むしろ割れたガラスの除去とか病院への搬送や手当てをすることが必要となる。危険なことが行われた結果責任は親や指導者にあり、こういう時に言い訳がましく「だからいつも言っているでしょう」などと言った発言は子どものためにも役には立たない。
 叱ると言う行為を褒めるためにあると考えれば一歩手前でしっかりと強く叱ることが子どものために必要である。それは子どもより先に生まれてきていろいろな経験をしている大人の使命であろう。石原慎太郎さん流に言うと「子どもには叱られる権利がある」との表現になる。この場合も経験の浅い子どもには褒めるためにしっかりと叱ることが必要だと言うことになるであろう。
 最近の子どもの現状を見ると、子ども同士の中で群れ遊んだ経験のない大人が親になってきて、その親達が経験のないままに自分の「主張」をするので権利意識だけがはびこり、すぐに切れてしまう子ども、安易に他人を傷つける子どもそして大人が急激に増加していると思える。
 この現状の中で子ども達を群れ遊ばせそこに親も一緒に参加できる空間・時間・仲間を創出することが必要であると私は考えている。ところがその道はハード面では草とり等の環境整備としっかりと叱ることのできる大人教育にあるのではないかと思う。
 何のために叱るのか 褒めるために叱る との言葉はとても重要であると私は思う。
 王様ジャンケン遊びは男の子も女の子もけっこう楽しく遊びます。でもルールを守らないのは圧倒的に男の子です。社会的参照能力が劣る男の子はルールを守ることは苦手です。その代わり男の子は「ともやんルールを守れ」と個人的に厳しく叱ったり、「ともやんよくやったね」などと個人的に褒めたりすることは問題がありません。男の子は他人のことなど気にしている余裕がないからです。また男の子の手と足と思考は分離しています。男の子はオートマチックに平らな所は走り、棒を振り回し、高いところに登り、ボールがあったら蹴るのです。ですから「石を投げたこの右手は悪い。(パチ−ン)でもあなたはよい子です。」とやってもそんなに問題は起こらない。問題を起こすのは「非暴力主義者」の大人たちだと私は感じている。ただし「非暴力主義者」は問題の「評論」はできるが解決は出来ない。(自衛隊も警察もなくなれば世界がよくなるといったものではない)
 女の子を褒めたり、叱ったりすることはとても難しいことです。個人的に褒めたり叱ったりすると「何で私だけ叱られるのよ」と頬を膨らませたり、逆に「とも子だけなんで褒められるのよ」と他の子どもが怒り始めます。
 遊びの中で叱るのは私は男の子にするようにしています。女の子はその叱られる姿で充分学習できるからです。どうしても女の子を叱る場合は「2年女子。ルールをちゃんと守れ」といったように集団として叱る方が上手くいきます。。
 トランプ遊びなどを上手く活用して身体を動かしながら算数などの学習をすると男の子でも楽しく勉強することができる。(例えば3と7で10になったら足の屈伸を3回、5と5ならスクワット5回したらそのカードをもらうことができるなど)1〜3年生までの低学年の男の子はとにかく動き回ることが大好きだ。だからうまく身体を動かして学ぶようにすることが大切であると私は思う。環境整備などでも草取りよりも松ぼっくり拾いや石拾いなどの方が良いだろう。
 小学校低学年までの学習方法はほぼ女性性的などで女の子はそんなに落ちこぼれない。しかし高学年になるととたんに男性性的な教え方になる。数学的概念はすっきりが基本なのからかもしれない。0.5÷0.1=5なんて計算は男の子にはすっきりだが、女の子には理解が難しい。やはり女の子にもわかるように「0.5リットルの牛乳を一人0.1リットルづつ飲んだら何人が飲める?」との教え方を考える必要があるであろう。
 同様に
y=x+12・・・@ y=2x+2・・・Aみたいな連立方程式の解を求める等の場合も
両辺にyが一緒だから
∴A=@
∴2x+2=x+12 
∴ x=10 y=22
となるといった手法ではなくて女の子にはその意味を考えることが必要であろう。「1ヶ月に1万円の小遣いと最初に12万円+されるのと1ヶ月に2万円の小遣いと最初に2万円+される場合で何ヶ月たてば毎月2万円もらった方が得でしょう。」と話をすれば表を作って計算を始めるのではないでしょうか。男はそんなことを言われても今の12万円にしか興味を持たないでしょう。ちょうど男が酒を飲まないで貯金をしていればたくさんの貯金ができたのと一緒です。そんな風に考えると日本の男は女の人にお金を任せておいたほうが無難であると思われます。
 子ども喫茶は月に1回位土曜日に開催しています。子ども達の楽しい遊びです。ウィートレスになりたい女の子は多いのですが、ウィターになりたがる男の子は少ないのが現実です。
 この他、お店屋さんごっこ・買い物ごっこ・コンビ二ごっこなどをしているのですが、男の子と女の子は買い物の仕方が違います。男の子は必要な品物をサッサと買います。例えばうまか棒をがばっと買って終わりにします。お金が残ったもそれ以上の買い物をしないこともあります。女の子は買い物自体が遊びですから、フルにお金を使います。お金が残れば仲間と残金を出し合って買い物をして分け合うこともあります。男の子にはそんな器用な真似はできません。
 大人の男は見栄でお金を使うことが多いけれど、女の人のように買い物依存症になることは少ないように思います。買い物自体が男の欲望を満足していることはないようですから。でも最近のサラ金と男の女性化はこうした基本的な文化も崩してきているのかもしれません。
 女の子と男の子の遊び開発の手法その2だけでは終われそうもありません。その3を作りたいと思います。
その1   その3
 「女と男」のNHKのシリーズを見てから1ヶ月が経とうとしている。このシリーズを受けて私は今までの自分のやってきたことを「女の子と男の子の遊びの手法開発」のシリーズとしてまとめてみた。私のホームページそのものが自分の覚書であり、論理的な展開というよりは情緒的で感覚的なものが多いことを自覚している。けれども私としてはこんな風にしたらもっと子ども達が生き生きと遊べて健やかに育つのではないかという強い思いがあるので、論理的・実証的である前に情緒・感覚的ではあるけれどとりあえず提案をしてみたいと思って書いてみたものである。
 できることであるならば感想などがあったら、メールにてお聞かせ願えれば幸いです。
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