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遊びの手法    女の子と男の子の遊びの手法の開発1(2009年2月21日)  その2  その3 詳細





 
 NHKのドキュメンタリーシリーズで女と男のシリーズが放映された。その要約の一部をコピーすれば
 男女平等の国・アメリカで新たな“男女区別”がはじまっている。小学校や中学校の義務教育現場で、男女別授業を行う学校が増えているのだ。成長期には特に男女の差=性差が出る。そこで、それぞれの性に合った教育をしようという試みなのだ。また、医学の分野でも、病気の男女の違いを重視する動きが広まっている。
 
というものである。男女共生の道は実は男女別の男女にあった教育をしてお互いの能力を高めることにあるということになる。私はいつも子どもの遊びの現場に居て子どもを下から見つめていた。つまりunderstandしていた。この中で理解できたことは女の子と男の子の性差は歴然としていることである。男女共生の道はこの性差をしっかりと理解してなおかつその特徴を活かして互いに高めあうことであると私も思っている。
 女と男を同じような手法で能力を高めることには無理がある。それに互いに別々の手法でポリバレント的に助け合ってやればずいぶんとお互いが楽になるのではないかと考える。私は職場においてエクセルを使って計算をすると共に会計補助簿を手書きでつけている。その場合の計算はそろばんを使用している。エクセルとそろばんを使うことでミスが大幅に減少する。このように一つの手法に頼らないことが生きていくための秘訣ではないかとも思うのである。
 具体的な女の子と男の子の遊びの手法の開発をしたいと考えている。
(ただし、男の子の中には10人の内に1人くらい女の子の中にも10人の内に1人くらいの割合で女性性的・男性性的な感覚な人がいます。性同一性障害というわけではなくてナイーブな男の子・アグレッシブな女の子がいるという感じです。ナイーブな子どもにはナイーブな対応をアグレッシブな子どもにはアグレッシブな対応をすることが必要でしょう。女の子的な遊びの手法が好き・男の子的な遊びの手法が好きということもあるのです。)
 女の子と男の子の遊びの手法を考える場合に、完全に男女分離をすると私は考えてはいない。居住空間としての学校・児童館・児童センター・児童クラブといった建物は一緒であるべきだと考えている。同時に同じ居住空間の中で時と場合で女の子と男の子が別の手法でやってみることが必要であると考えているのである。おやつを食べる時、勉強をする時、折り紙を折る時などは男女別室が良いと思う。カプラや昼食を食べたり、ジャンケンゲームやドッジボール・達磨さんが転んだなどの遊びをする時は同じ部屋でやるけれど男女別々のグループの方が楽しくやれるであろう。ローラースケート、人間ボーリングプール遊びクローバー公園で遊ぶ時は女の子も男の子も一緒に連れて行く。時と場合での使い分けをして男女が相互に自分達の存在を認め合えるようになることが大切と考えている。
 折り紙を折る場合で考えてみよう。もりちゃんオリジナル箱を作る場合なら女の子は全習法でやると上手くいく。まず指導者が1〜2回折って見せて、子ども達の中に作るイメージを膨らませる。その後に「みんなで教えあって作ってください。上級生で出来た人は下級生に教えてね。みんなができたら箱にシールを貼ったり、色を塗ったりしていいからね」と話せば30分ほどで30人くらいの女の子達は助け合って作る。

  男の子の場合はこうした箱よりもニワトリのように動いて遊べるものが良い。また分習法で折っては気合いで倒し、また折っては頭の上に載せて体育館を一周してくるというように動きながら個々人に作らせるとスムーズに折ることができる。
 料理も女の料理と男の料理はずいぶんと違う。私の得意はドングリご飯である。醤油と味醂も入れて時には椎茸・肉・ニンジン・コーンも一緒に炊き込んで五目炊き込みにして皿に盛り、横に野菜(サラダ菜・トマト・キュウリetc)とコロッケをつけて食べる。
 女の人ならドングリご飯に椎茸・ニンジンコーンの野菜炒めそしてフレッシュサラダに野菜スープにコロッケとなる。
 男の料理は丼一杯・皿一杯だが女の料理はご飯茶碗にスープのおわん・サラダ皿にコロッケの皿が必要となる。

 どちらが良いとか正しいとかの問題ではない。時と場合で使い分ければ良いのである。
 おやつを食べるのも女の子と男の子ではずいぶんと違う。そもそも目的が違う。男の子のおやつはたんなる水分補給と栄養補給でしかない。できるだけに速やかに行われるのが良い。5分でおやつを食べ終わる。
 女の子のおやつは遊びそのものである。おやつを食べながらおしゃべりをするのが女の子の一番の楽しみだ。だから30分は楽しむことができる。
 このことは大人になっても一緒のようだ。女の人は夕食で2時間を楽しむことができるが、男は酒でも飲まなければ2時間は一般的に無理である。
 おやつは女の子と男の子では手法を変えることが必要である。
 新奇なことが起きた時にどのように対処するかについても女と男ではずいぶんと違う。未熟児(すぐに自分の身を守れないという意味で)として産まれる人間のあかちゃんは自分の身を守るために社会的参照という能力を持っています。新奇な事態が生じたときにアタッチメント(愛着)の対象である人の顔を見て自分の行動を判断するというものです。(このためにサルとは違って人間には白目があるということです)
 小学生期になると男の子ども達は急速に活動範囲が広がります。これに伴い冒険心が芽生え、新奇なものに常に反応します。これに対して女の子は新奇なものへ直接的な反応をするのではなくて、乳児からの社会的参照の能力を温存し、他の人たちの行動を見てから自分の行動を決めようとします。
 こうしたことからもADHDの発生時期と男の子に多いことがわかると思います。
 昨年の11月にSLばんえつのたびに行ってきました。私は男ですから、旅の予定などは立てません。ほとんど出たとこ勝負です。旅とは見知らぬ新奇な物と人との出会いが目的と考えていますから、最初から旅行案内を見て自分の行き先や何をするのかを決めるのは愚かなことと感じるからです。
 女の人は社会的参照の能力に優れていますから、旅行をするならば「あことこことそこは絶対に周る」と計画を立て、しっかりと見てくるのが楽しいのでしょう。
 同じように子ども達を自然科学館へ連れて行く場合でも男の子に「バスの中で騒がない・エスカレーターを昇り降りしない・12時にご飯を食べる・3時に自然科学館を出発する」などとくどくど説明してもほとんど聞いていません。ワンは一つでモノとの意味・ツーは二つで双子の意味・スリーはスライスでたくさんとの意味ですから、三っつ以上の支持はあまり男の子には役立ちません。女の子には必要なこともあります。子どもへの指示の仕方にも工夫が必要です。
 児童館・児童クラブにおける女の子と男の子の指導の手法をこれからも提案していきたいと考えています。書いていたら増えてその2 その3もできました。併せてご覧ください。
 「女と男」のNHKのシリーズを見てから1ヶ月が経とうとしている。このシリーズを受けて私は今までの自分のやってきたことを「女の子と男の子の遊びの手法開発」のシリーズとしてまとめてみた。私のホームページそのものが自分の覚書であり、論理的な展開というよりは情緒的で感覚的なものが多いことを自覚している。けれども私としてはこんな風にしたらもっと子ども達が生き生きと遊べて健やかに育つのではないかという強い思いがあるので、論理的・実証的である前に情緒・感覚的ではあるけれどとりあえず提案をしてみたいと思って書いてみたものである。
 できることであるならば感想などがあったら、メールにてお聞かせ願えれば幸いです。

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