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遊びの手法    女の子と男の子の遊びの手法開発3 (2009年2月22日)  その2  その1 詳細





 
 女と男のシリーズをブログの仲間の平井さんが要約して下さっている。以下はそのコピーである。
 アメリカで「落ちこぼれを作らないための初等中等教育法(2002年)」が制定された。学力向上のために、同性による学校やクラスを設置することが認められた。男女別に授業のやり方を変えている。
男子の場合、長時間同じ姿勢でいることが苦手なので教室では自由な姿勢、場所のほうが学習に集中できる。また上下関係の規律をもって誰がボスなのかを意識させるような教え方をする。あえて命令口調で競わせ、やる気を高める。
 女子の場合は、上下関係をはっきりさせることを好まない。とくに大切にしているのはペアを組んで作業をさせること。自然と助け合うことのできる女の子に向いているという。男子がいると競争心が強いために、すぐけんかになってしまう。
 男女が一緒ではうまくいかない学習法も導入できる。それが男女別クラスのメリットである。男女別授業を取り入れる公立学校が全米で急速に増え、現在500校あまりになっている。女の子と男の子の違いに注目し、それぞれの得意なやり方で学ばせる。そうした新しい模索が広がり始めている。
男女の違いに注目する。そんな動きが企業の間にも広まりつつある。経営コンサルのデロイト社では男女の違いを意識したアプローチ方法の研修を行い、現場でも実際に活用している。
 顧客が男性の場合は、地位の高い上司が参加し、解決策をずばり提案する。しかし女性が顧客のときは、全く違うアプローチが求められる。女性は結論に至るプロセスを大切にするため、できるだけの多くの担当者が一緒に訪問し、いくつかの解決のポイントを説明する。
 この男女の違いをお互いに知ることで、より働きやすい職場になり、業績も上がったという。違った目線を取り入れることで組織の強さを増すことができる。

 私も第2回シリーズを見たわけだが、長年の疑問が解消する思いであった。実は私自身が本を読むときに同じ姿勢で長時間読むことが苦手であった。1時間読むならば、マッサージ器で15分・机の前で15分・寝転がって15分・カウチソファーで15分といった感じで次々と移動して読んでいる。これを私は自分だけの事かと思って誰にも言うことがなかった。でもこのテレビを見た後に保護者に「お宅の旦那さんはどのようにして本を読んでいますか?」と聞いてみたら、私のように読む場所を次々と移りながら読んでいる人がけっこういることで安心することができた。
 300万年位は狩猟を中心として生きてきたであろう男達は同じ場所に15分以上じっとしていることはなかなか困難なのではなかろうか。逆に採取を中心として女の人たちはじっとしていることを苦ともしないのかもしれない。
 センターに泊まろうは毎年の有明児童センターの恒例行事である。100名前後の小学1年生〜6年生が一緒に宿泊します。女の子はテントの中に入ってペチャクチャとうるさく過ごしています。男の子はテントの外へ飛び出したり、テントの中で蹴りあい・プロレスをしたりして叱られています。男の子は狭い場所でじっとしているのは苦手なのですから、寝る前まではできるだけ身体を動かす遊びをたくさんやって、くたくたになるまで遊ばせておくことが必要となるでしょう。女の子はどちらにしてもおしゃべりを楽しみに来ているのですから、おしゃべりの時間を多くしてあげれば楽しく過ごすことができるようです。
 土曜日の朝に学習タイムを45分入れています。テレビを見た後から、男の子で同じ姿勢で机の前に座って入れない子どもは別室で学習させることにしました。どのような姿勢でやってもよい代わりに他人には絶対に迷惑をかけないことが条件です。
 3〜5人の子どもが寝転がって勉強をしていますが、本人達も能率が上がって良いと喜んでいるし、他の子ども達も学習妨害(他人をつっつく・ノートにいたずら書きをする・悪口を言う・叩く)を受けることがなくなり能率が上がるようです。
 ジャンケンバキューンジャンケン遊びは子ども達の好きな遊びです。ジャンケンをして負けたら指鉄砲で撃たれて無残に死ななければならないというものです。人間の本質的なものとして死と生があるのでしょうが、殺人も一つの人間の本性なのかもしれません。現実に殺人をすることはできませんが、ごっこ遊びの中でいろいろな経験をすることは大切です。こんな遊びもいけないという人がいるのなら推理小説はすぐに発刊禁止にすることが必要です。
 王様ジャンケン遊び参りましたジャンケン遊びなどのようにジャンケン遊びなどで王様になったり、きちんと頭を床につけて謝ってみたり、ジャンケンバキューンのように殺されてみたり殺人者になってみたりするというロールプレー的な手法は相手の身になって考えてみるためにもとても大切な遊びです。演劇や映画やごっこ遊びも立場を逆転してみるという点からも大切なことでしょう。
 歌舞伎や能において女の役を男がやっていますが、男の方が女の人より女らしいということもあるものです。
 ときに男の子もスカートにしてみたり、女の子も丸坊主にしてみたりすることもあっても良いのかもしれないと思ったりします。女の子の一休さんとか男の子のあんみつ姫なんて遊びもあるかもと思ったりもします。
 小学生のための詩の朗読遊びは楽しい詩を紹介してあります。男の子は谷川俊太郎さんの「あきかんうた」や阪田寛夫さんの「お経」などの意味よりもリズム感のあるものを好みます。女の子は工藤直子さんの「ふきのとう」や鶴見正夫さんの「おうむ」などが好きです。
 ダンスでは今年のトキめき国体のイメージソングガムシャラな風になれを女の子は喜んで踊ります。男の子はジンギスカンが好きですね。
 可愛いあかちゃんを相手にしたときに抱きたがるのは圧倒的に女の子ですね。男の子は遠くから恐る恐る見ているといった感じです。
 詩の朗読でもダンスでも遊びでも有明児童センターではたくさんの遊びを用意してあるのでそれぞれの特性にあったものをやってみて効果的なものを選ぶようにしていけばよいと考えています。みんながいつも必ず同じものを同じようにしなければならないとの考えを卒業することも大切と思います。同時にこのことはみんなが同じことを同じようにしなければならないことがあるのを否定しているわけではありません。同じことをやるときや違うことをやるときがあるとのことです。
 ポリバレントという言葉をテレビを見ていて知ることができた。多義性とか多様性といった化学の言葉から出たものらしい。それがサッカーでいくつかのポジションをこなせるとの意味になったという。大分トリニータの原強化部長さんの話であった。大分トリニータのように地方で貧乏なチームはたくさんの選手を雇うことができない。それでいろいろなポジションをこなせる選手を獲得するのだという。
 私は福祉や児童健全育成の分野でもこのポリバレントの考えを取り入れることが必要と考えている。
 例えば今の教育界は校長・教頭・教諭・講師・助教諭・養護教諭・図書館司書・介助員・事務員・用務員(最近は技師というらしいが)・学校カウンセラー・清掃委託業者・修繕委託業者・その他の業者というようにたくさんに分化している。この結果自分の分野以外はわからないことが多くなる。
 本来的に考えてみればダンスでもたんにダンスだけとらえるのではなくてガムシャラな風になれを踊ればトキめき新潟国体との関係で社会とも関係し、表現遊びであり、運動遊びであり、歌詞を考えれば国語にもなる。
 専門的に分化することを否定しているわけではないが、同時にポリバレントの考えで複合的にいろいろなことをやることも必要であろう。
 私の職場ではテンプラ会など大きな行事をいくつかやっています。行事の後には忘れ物や紛失物がかならずあるものです。携帯電話・時計・靴下などなど。この紛失物等を探すのも職員の大切な仕事ですが、ある意味では不必要な厄介な仕事とも思われがちです。でもこれもポリバレントの手法を使うと楽に楽しくできることができます。つまり物を探すだけではなくて、ついでに日ごろ見ない場所のゴミの始末・修繕必要箇所の発見・ずっと探していたゲームのコマなどを見つけることも目的にすることもできます。つまり紛失物探しといった一つの仕事にしないで多義的な仕事にすることができるのです。
 紛失物を探すのは同時に仲間作りにもなります。「ともちゃんの大切なウサギのサイフ入れが見つからないそうです。みんなで探してあげましょう」と言えば友達関係を作ることにもなります。
 ポリバレントには一つのことに複数の意義を見出すということと同時に一つの問題解決に複数の手法があるとことも教えているように思います。
 女性性的な手法と男性性的な手法が違ったとしても問題解決が協力して上手くできれば良いと思うのです。大きな行事を実施するときには、それぞれの長所をいかして助け合うことが大切だと私は思います。






 私が女性性的な思考と男性性的な思考があると拘るのは集団浅慮に陥らないようにするためでもある。答えが一つと考えてしまうとその答え以外の答えが排除されてしまう。結果的にみんなが不幸な結果に陥ることが多いものである。
 答えが一つではなくて女性性的な思考と手法があり、男性性的な思考と手法があると考えることはそれほどお互いにとって悪くはないのではないかと思う。もちろん同様に多数派の考え・少数派の考えがあったり、事務的な思考や手法・事業的な思考や手法、科学の知による思考や手法・臨床の知による思考や手法もあるであろう。それらのいろいろな手法や思考がお互いに協力し合ってやることが必要なのではないかと思う。
 ところが現実世界ではどちらかが正しいとの考えが極めて強く主張されていることが多い。「男女共生」のために同じ教育をすることが正しい。「統合教育」で健常児も障がい児も一緒にすべきである。少数派はすべて正しい。事務的にすべてをきちんきちんとやることが正しい。まるでアナログの時計とデジタルの時計がケンカをしているような状況である。その時々でアナログとデジタルの時計を使い分ければよいだけだ。
 私は職場でも地域でも電気は東北電力と自家発電・水は水道局とペットボトル、ガスは北陸ガスとプロパンガスといったように二つのライフラインを用意している。たしかに北陸ガスのほうがプロパンより安いけれど地震の時はプロパンガスが必要となる。
 芝刈り機が草を刈りやすいところもあれば鎌の方がよいときもある。
 人間の女と男が他の動物と違って食糧を得る手法を変えたのはそれなりに訳があったからであろう。その中で人間の女と男の脳に違いが出てきたらしいから、それはそれで受け入れてうまく対応することが必要であろうと思う
その2  その1

 「女と男」のNHKのシリーズを見てから1ヶ月が経とうとしている。このシリーズを受けて私は今までの自分のやってきたことを「女の子と男の子の遊びの手法開発」のシリーズとしてまとめてみた。私のホームページそのものが自分の覚書であり、論理的な展開というよりは情緒的で感覚的なものが多いことを自覚している。けれども私としてはこんな風にしたらもっと子ども達が生き生きと遊べて健やかに育つのではないかという強い思いがあるので、論理的・実証的である前に情緒・感覚的ではあるけれどとりあえず提案をしてみたいと思って書いてみたものである。
 できることであるならば感想などがあったら、メールにてお聞かせ願えれば幸いです。


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