遊びの手法 地球大進化と子どもの扱い方 ホームトップ  詳細トップ ◆群れ遊びの手法 (2005年1月23日) 

                                                   児童健全育成指導士 田中 純一

 最近の子どもの変容はたんに子どもの変容だけによるものでなくて、その親の変容にも関係しているように私は感じています。今の日本の子育ての状況を少子化第2期と私は考えています。一人っ子・二人っ子の子どもが親となった時代です。両親が少子化時代の子どもたちですから、おじさん・おばさんがいなくて、いとこがいない子どもたちが増加しています。こうした状況下でわがまま・自己中心の子どもが増えています。子どもが多くの大人に甘やかされて王子様・王女様のようにされていることが多くあります。王子様・王女様が一緒になっても自己中心のために楽しく遊ぶことができないで、傷つけやすく傷つけられやすい子どもと親が増加しているように思います。こうした状況下で子どもの取り扱い方について、いくつかの提案をしてきました。


第1提案 名前のいらない遊びを増やそう   名前のいらない遊び


第2提案 ツーパワー・スリーパワーで遊ぼう  ツーパワーでトランプ遊び ファイブパワージャンケン遊び


第3提案 ワン・ツー・スリーの原則  ままならぬこと


第4提案 ロールプレーを取り入れよう  王様ジャンケン遊び


第5提案 体性感覚を使った遊びを増やす  五感から体性感覚へ  

第6提案 しっかりと叱る 自己責任の原則で遊ぶ    子どもの叱り方 子どもと遊びとケンカ


第7提案  understandしよう  ママママとうるさい子どもから学んだこと   子どもの目線の下からの大発見を


第8提案 ケースワークはグループワークで  児童館におけるケースワークの実際  児童館におけるグループワーク


第9提案 自然との遊びを増やそう 自然とのふれあい 児童厚生員の仕事 ユニバーサルデザインの考え


 以上の提案を2004年の4月4日にホームページにアップデートをして来ました。(http://members.ecatv.home.ne.jp/tomoyant)2004年の年末に『地球大進化46億年・人類への旅』というNHKのテレビの再放送を見て学ぶことが多かったので、群れ遊びの手法の提案と関連しながら紹介したいと思います。なお以下は私流の要約なので詳しくはNHK出版より全6冊で出版されていますので、機会がありましたらご覧いただければと思います。

1、生命は冒険者

 地球ができてから46億年が経つそうです。40億年前頃までは巨大隕石の衝突があり、地球全体が4000℃以上になることがあり、海は完全に蒸発し、細菌のような小さな生命が誕生していたらしいののですが、みんな死滅したと今までは考えられていたようです。しかし、生命の中には地下深くまで(南アフリカの金鉱山では1.8キロメートル地下に生命はいた)もぐりこむ変わり者の冒険者がいて、巨大隕石による全海洋蒸発の時にも生命は生き残ったとの仮説がでているというのである。

 生命の誕生は海の熱水噴出口と考えられているらしいのですが、わざわざ地下深くまでもぐりこむ生命があることに、生命の冒険者らしさを感じます。そして生命の遺伝子を受け継いでいる人間もそうした冒険者の要素を持っているように私は現場で感じます。あかちゃんは何でも触りたがりますし、ADHD傾向の子どももなんにでも興味を持ちたがります。ですから、「何を考えているの。危ないでしょ」などと言わないで、「触りたがるのはわかるけれど、触ると危険でしょ」と話をしたり、最初から触ることを前提に考えておけばずいぶんとこちらのイライラは減らすことができるのではないかと私は感じています。

2、全球凍結と生命

 地球は24億年前から6億年前の間に地球の全てが凍りついた時期が4回ほどあるらしい。この全球凍結の中で生命は生き延び、さらにたんなる微生物が大きな生命へと発展していったとのことである。優しさだけでは発展はない。人間は厳しさを乗り越えることによって大きく発展していくのではないかと私流に思う。あかちゃんをかまっていつも私は泣かせている。このときにお母さんには「子どもが泣いてもおろおろするな」と話している。あかちゃんは人見知りのしないたくましい子どもになっていく。

3、手はなぜできたか。

 「手は何のために誕生し、どのように進化したのか。この問いは『生物はなぜ上陸することになったのか』という問いとともに長い間同じ問題の両側面とされてきた。というのも、手の進化は上陸の後に始まったもの、もしくは上陸をめざす過程で誕生したもの、と考えられてきたためだ。しかし、最近の十五年の研究から手の進化に関する解釈は大きく書き換えられてきた。なかでも最大の変化は、『手は水中生活のために誕生した』という意外な発見であった・」
 手の発達の歴史を以下に私流に要約する。今から3億6千万年前位に体長1メートル位のアカンソステガという魚の仲間が8本指の手を持っていたという。(これは化石からの分析結果)また当時海は体長5メートル位のハイネリアという獰猛な魚の全盛期で人類の祖先であるアカンソステは水際に逃げ込むという戦略をとったらしい。当時の水際には枝ごと落ちる樹木があり、その落ちた樹木をかきわける必要性から魚は手を進化させたというものである。
 最近、私はあかちゃんの観察するのが好きである。あかちゃんは生命36億年の歴史を10ヶ月と1年間の間に凝縮させてみせてくれる。あかちゃんは目の前のものを取り払おうとする動作をすることが多い。このことはアガソステガの動きと関係があるのではないかというのが、私の仮説である。だから小学生の子どもたちも含めて子どもがすぐに目の前のものを払おうとする行為を「あぶないでしょ。何を考えているの」などと叱ってはならないと私は思うのである。なぜならばふりはらう行為は本能的なもので考えて行動しているわけではないからである。あえて言うならば「ここでは危険がないから,ふりはらわなくても良いよ」と教えてあげればよいのではと思うのである。

3、大陸の変容と森の出現そして森の減少

 大陸変容に伴い、5500万年程前に地球全体は南極も含めて緑の森に覆われたという。この結果哺乳類の中のサルの仲間(人間の祖先)は木々の間を暮らすこととなった。このことで眼が進化し、立体視ができるようになった。その後南極大陸とオーストラリア大陸・南アメリカ大陸が分離し、地球は寒くなり、森が減少した。この状況に対応して眼も発達し、赤の色を見ることができるようになり、三原色の世界になったという。

 最後に『地球大進化第6章ヒト果てしなき冒険者』からの引用

 地球46億年の長い進化の果てに、私たち人類は誕生した。

 その進化の歴史は、私たちの体にははっきりと刻まれている。

 およそ40億年前、海で最初の生命が誕生した。ちょうどこのときに、私たちの体の成り立ちを決める遺伝子も誕生したと考えられている。このころの生命は,ごく小さな単細胞生物であった。

 ヒトの生命のはじまりもまた、小さな単細胞生物の受精卵だ。そして、受精卵は、20億年前に起きた全球凍結のあとに誕生した、核をもつ真核生物と同じ姿をしている。

 受精卵は分裂を繰り返し、ヒト(胎児)へと成長していく。これも6億年前に地球を襲った全球凍結に耐え、多細胞生物となって獲得した能力だ。多細胞になった生物はやがて海を席巻していく。

 私たちがものをつかむ手は、3億5000万年前に海から陸にあがるときに得たものだ。私たちの祖先は生命の楽園だった海を追われたが、手と足を得て、陸という新天地へと進出した。

 母親のお腹の中で成長する胎生。これは2億5000万年前に起った史上最大の大絶滅の所産だ。生命の95%が死滅するという未曾有の危機が迫ったとき、哺乳類は子を胎内で育む子宮を獲得して、死の世界からいち早く生き残りを図ろうとした。

 世界を広く見渡す視力は、およそ5000年前に獲得した。私たちの祖先である霊長類が木に登った時に、地表という半面的な世界から、枝葉の入り組んだ樹上という複雑な二次元的世界に踏み出したことがきっかけとなった。

 私たちの祖先が歩んできた進化の歴史。それは常に新しい世界へ踏み出すことの冒険の連続だった。ひとたび新たな世界へと踏み出したとき、私たちは飛躍的な進化をとげた。

 その一つの到達点として私たちヒトがいる。

 700万年前からはじまったヒトの進化。46億年の地球の歴史のなかの、最近のわずかな時間にヒトは世界を制覇し、自ら生み出した地球に変化を起こしうる存在となった。ヒトだけがもつ特殊な能力――一本の足で歩き、大きな脳をもち、言葉を話すーーによって、ヒトは良くも悪くも特別な存在になった。

 冒険者として進化してきた人類。私たちの果てしなき冒険はどこへ向かうのだろうか。


 地球大進化のテレビと本は現場で子どもたちを見ている私にとって大きなインパクトを与えてくれた。
 子どもも人間も冒険者だから冒険心を認めた上で伸ばしてあげよう。手は何かを振り回す存在である。樹木から下りたヒトは大動物から襲われる危険から平らな広いところでは走り回る特性がある。穴を掘ったり、物を投げたり、振り回すのは本能的なものである。ADHDの子どもはある意味では先祖がえりをしているとも考えられないであろうか。サルとヒトの違いは言語にもあるが、同時に白目で互いの視線でヒトは語ることができることにもある。地球はけっして母なる大地といったやさしい存在だけではなくて荒ぶる父といった厳しさを生命に与えてきた。その厳しさの中で生命は進化してきた。などである。これからも子どもたちの発展を子どもの目線のさらにその下から見ながら見つけ育ちあっていきたいと思う。