自分の知らない世界を追体験できたり、わからないことを調べたり、時間つぶしをしたりと本はパソコンと一緒でないとちょっと困るものですね。
私の好きな本を順序関係なく、思いつくままに紹介してみたいと思います。 |
落語絵本『ばけものつかい』
クレヨンハウス 川端誠著 1200円
|
クレヨンハウスから1994年に発行された落語絵本はもう21版を迎えたそうなのですが、私は気がつきませんでした。最近の日本語ブームと声を出すことの大切さが再認識されたことで、店頭の目立つところに出てきたので見つけることができました。
日本の江戸時代からの教育は素晴らしいものがあります。基本としての『読み書きそろばん』は本当に大事です。読みの基本は素読です。とにかく声にだして読んでみるとわかるものです。それはちょうどあかちゃんが意味がわからなくてももたくさんの日本語を声かけられて言葉を覚えていくのと一緒です。
落語絵本は全8冊あります。子どもたちに声を出して読んであげたいオススメの本です。
私は乳幼児の読み聞かせにも使いますが、TPOで飛ばし読みをしたりして、幼児でも楽しめるようにしています。 |
マンモスハンター、シベリアからの旅立ち
日本人はるかな旅
NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編
日本放送出版協会 全5集(1冊1800円)
|
第1集マンモスハンター、シベリアからの 旅立ち
第2集巨大噴火に消えた黒潮の民
第3集海が育てた森の王国
第4集イネ、知られざる1万年の旅
第5集そして日本人が生まれた
1集〜5集まで日本人のアイデンティティーを考えるのにオススメの本です。日本人の歴史は3万年前に始まり、様々な経過の中でいろいろな人たちが融和をして日本人として確立していったようです。その経過を遺伝子等の研究で明らかにされてきた様子が記されています。
排他的になる必要はないけれど、日本人として日本人の良さをしっかりと自覚することもまた大切と思う。 |
下学して上達する
平時の指揮官有事の指揮官 佐々淳行著
文春文庫 524円 |
理解するはunderstandで下側に立つことが理解するとの意味だということはネット仲間から教えてもらった。私が子どもの目線のさらにその下側からの大発見をの提案に追加してくれたものだ。
ブックオフで偶然見つけた佐々淳行さんの「平時の指揮官 有事の指揮官」は危機管理が問われる中で大切なことをいろいろ教えてくれた。
understandに該当する言葉が論語にありそれが「下学して上達する」であるという。「つねに手近なことから学び、視野を広げ、上達することを目指すものは立派な人間になり、つねに上から下を見ようとするような人間は、つまり、自分の考え限られた知識でしか物事を判断しない人間は愚かなままだと孔子は言うのである」と書かれている。学ばされる言葉である。 |
自然発生的集団にグループワーク的手法を試みても排他性を残せばグループワークにはならない
児童グループワーク 小関康之著
ミネルヴァ書房 1700円 |
児童館・児童クラブにおける活動は排他性を徹底的に排除することが必要であると私は考えている。児童グループワークとたんなる集団遊びの違いはそこにある。
小関康之さんの児童グループワークには多くのことを教えてもらった。その中の一文を引用する。
一般にグループワークは自然発生的集団や、団体や施設が意図的に作った人為的集団を対象とするが、グループワークが、それぞれの団体や施設あるいはサークル活動において努力しなければならないことは、対象となる集団が、人為的集団であれ自然発生的集団であれ、グループ活動の過程にあって、小集団=人格的協同集団的性格をもった集団へと変容することである。
たとえば、自然発生的集団である近隣の子どもたちのあそび集団に対して、グループワーク的アプローチを試みても、子どもの自然発生的集団=あそび集団のもつ排他的性格を、人格的協同集団としての性格に変えながら、より多くの子どもがグループワークの対象になるように、試みがなされなければ、グループワークは、自然発生的集団の内的凝集性を高めるだけの効果しかなくなり、結果的には、排他性を高めること以外になんら効果をもたないことになる。すなわちグループワークは、自然発生的集団をもその対象として扱うが、それは、あくまでも自然発生的集団を、小集団づくりの核として活用することであり、自然発生的集団を民主的、人格的な開かれた小集団として変容発展させていく過程を整える援助をすることに、大きな役割を見いだすべきである。 |
雪の形
凡物を視るに眼力の限りありて其他を視るべからず。されば人の肉眼を以、雪をみれば一片の鵞毛のごとくなれども、数十百片のの雪花を併合て一片の鵞毛を為也
北越雪譜 鈴木牧之著
野島出版 1200円
|
私は三条高校の卒業なのですが、三条市に野島出版があります。新潟県の名著を野島出版が出してくれて嬉しく思っています。
北越雪譜を読むと江戸時代がとても素晴らしい時代であったことに気づきます。また新潟県人=越後の人々が雪と戦うというよりは雪をうまく利雪していたことを知ることができます。
北越雪譜によって越後の国のよさと誇りと江戸時代を認識することができました。日本という国を文明開化といった視点から別の視点で見ることができるきっかけとなった一冊です。
鈴木牧之記念館は塩沢にあり、そこに金城わかば児童館ができたことも嬉しいことです。
鈴木牧之記念館の様子は塩沢町の許可をとって写真を撮らせてもらい下記に紹介してあります。
北越雪譜記念館
|
教え込まれ、覚え込まされるばかりでは苦しくなり、欲求不満でイライラがつのる。それには常に、内から外へ自分を吐き出す、つまり自己を外へ吐き出す、つまり自己を外へ表現する活動が適度にあることによって子どもの精神は調和を保ち、情緒も安定する
子どもの表現活動 岡田陽著
玉川大学出版部 1854円
|
学生時代に水泳実習が1週間あった。夏休み中の実習で朝から晩まで泳いで真っ黒になったことを覚えている。
この実習の時に水泳の先生が「水の中で苦しいと感じるのは空気がないからではない。みんな一生懸命吸いすぎて過呼吸になるからである。」と話をしてくれた。そして実際に息を全部吐いた後、空気を少し吸って吐かないでまた吸う。これを繰り返すと水泳中の苦しさになることを体験させてくれた。空気=酸素がないから苦しいのではなくて酸素が多すぎて苦しいことが水泳の苦しさである。だから水泳での呼吸の基本は吸うことにあるのではなくて吐くことにあるとわかった。
岡田陽先生の子どもの表現活動で一番に学んだことは子どもの表現活動は子ども自身の表現活動であり、子どもが内なるものを吐くことであるということである。
児童館・児童クラブ・保育園・幼稚園・学校が子どもの表現遊びを子どものためではなくて、指導者のためにやっているかのような現状がある中で、岡田先生の子どもの表現活動はぜひに読んでおきたい一冊である。児童健全育成推進財団の本のいくつかに岡田先生の子どもの表現活動について書いてあるのでこの本でなくてもぜひ眼を通すことをオススメしたい。
岡田先生にはなんどか職場で子どもの指導をしていただいた。また職員の研修も受けさせていただいた。本当に素晴らしい先生である。 |
人の心などわかるはずがない
こころの処方箋 河合隼雄著
新潮文庫 400円 |
河合隼雄さんの本は大好きです。教えられることが多く、「こころの処方箋」も何回か買いました。というのは友達や仲間についつちやってしまうのです。
「こころの処方箋」も3冊くらい買ったように思います。この間ブックオフで新潮文庫で見つけたので買ってきました。
「人の心などわかるはずがない」で始まるこの本はどこから読み始めても読みやすくオススメの一冊です。
放送大学の大学院で臨床心理学を受講するそもそものきっかけになった本です。 |
いま、会いにゆきます
市川祐司著
|
映画を見て竹内結子さんの演技に感動しました。本でも読んでみたいと思って買ってみました。
映画も良かったけれど、本は本でまた違った良さでした。本と映画の両方が別の意味で面白いと二重にとくをした感じがします。 |
対話の中にアイディアが生まれる
斎藤孝のアイディア革命
ダイアモンド社 定価1200円
|
齋藤孝さんのアイデア革命と放送大学大学院の発達心理学より |
私はときたま考えもなしに本屋で本を買うのが好きである。見た目だけで内容をみないで買うのである。自分の発想以外のことから学ぶためである。半分くらいは当たらない。でも半分くらいは思いもしなかったことを学ぶことができて、うれしいことがある。
「齋藤孝のアイデア革命」(ダイヤモンド社・定価1280円)もその一冊である。紹介ということで無断引用を許してもらうことにしよう。
齋藤孝さんはその著書の中で「『空欄を埋めよ』型の問題提起がアイディアを生む」と書かれておられる。○○ボックスの○○を埋めるというものである。私も早速昨日の専門学校の授業で学生さん達49名に「児童館実習をして○○したこと」という題でレポートを書かせたら、いつもの「実習をして感じたことを書きなさい」というよりはスムーズであった。また齋藤さんは「ずらす・つなげる」などの作業でY=f(x)のfを考えることの重要性を提案している。
私も日ごろアイディアを引っ張り出す方法として大きくしてみる・小さくしてみる・作る素材を変えてみる・リズムを変える・音程を変える・対象を換えるなどでゲーム遊びや工作や音楽遊びを開発しているのでとてもよくわかった。
齋藤さんの著者は読みやすくとても面白いのでぜひ読まれることをオススメする。その中でとくに私の感じていることを明文化してもらったような気がした部分を下記に紹介したい。以下は引用である。(P141/142)
●対話の中からアイディアが生まれる
大学で講義をしていると、アイデアを出す能力のある学生とない能力の学生の見分けは即座につく。何か課題を与えたとき、次々と斬新な意見を述べる者がいる一方で、頭を抱えてしまったり、ありきたりの発言しかできなかったりする者がいるのである。この差は残酷なまでに歴然としている。
なぜこのような分化が起きるのか。少なくともそれは”天賦の才”などというものではない。IQや偏差値の差でもない。一言で言うなら、「身体経験の蓄積」の差だ。そしてその経験を自分で認識できるか否かの差だ。
前にも述べたとおり、アイデアは自分の経験に基づいて出される。それ以上のものは出し得ないし、もし出したとしてもそれは思いつきでしかない。何らかの課題を与えられたとき、豊富な経験の蓄積があれば、そこから答えを導き出すことができる。「合わせ箱」の一辺を25センチにするというアイデアが生まれたのは、長く一般家庭を見てきたという経験があったからだ。ホームベーカリーを完成に導いたのは、プロのパン職人のもとで修行した経験だった。つまり経験の「暗黙知」を「形式知」化させたわけである。
ただし、自分の身体経験は貧弱だからアイデアも出ない、と思う人もいるかもしれないが、それは違う。人は誰でも少なからず経験を積んでいる。日常生活の中で、さまざまな人やモノに接し、刺激を受け、感慨を持っているはずである。だが、それが「暗黙知」として意識下にとどまり、「形式知」として認識できていないだけなのだ。
ではこのプロセスを効率的に行う方法は何かといえば、ひとえにコミュニケーションである。人は頭を抱えて考えてみても、暗黙知の認識には限界がある。人と人とが対話することのよって、互いの暗黙知を刺激し合い、言語として認識できるようになるのである。
例えば親しい間柄で話をしていると、相手の話からインスピレーションを受けて、自分の過去の経験をふと思い出したりすることはよくあるだろう。あるいは、自分では思ってもみなかったような意見や見解が自然と口をついて出てきたりすることもある。それは相手に伝え聞かせようと努力することで、その経験は自動的に言語化される。これを繰り返すことで、相手をより深く理解することができるとともに、自分を知ることになるわけである。
言い方を換えるなら、対話とは自分と相手の暗黙知とつき合うということなのだ。イメージとしては、互いの脳ミソを混ぜ合わせるという感覚である。こうして共有・蓄積された暗黙知を素地とすれば、そこから生まれるアイデアは間違いなくクオリティーの高いものとなる。それを引き出すことができなければ、その対話は空虚なものにしかならない。
同様なことが放送大学の発達心理学でも記述されていた。放送大学大学院臨床心理学の中の発達心理学10学校文化のディスコース −書くこと・考えることー 内田伸子(P183) より以下は引用です。
・思想と表現の関係
以上から、作文を書く過程では、表現したいこと(思想)に合わせてぴったりした表現を選び当てはめていくわけではないことがわかった。ヴィゴツキー(1932/1967)が指摘しているように、作文における意図と表現の関係は「デパートで自分の身体のサイズに合わせて既製服を選ぶのではなく、初めは身体の輪郭もあまりはっきりせず、表現という布を切り取ったり、縫い合わせたりして形を作り出す過程」で、”あっ、そうか””アハー”と納得する主観的体験を経て初めて身体の実態、つまり、表現したかった意図や思想が明確になるような関係なのである。認識の側には表現の方向を規定するが,その方向に沿った表現を探し当てることにより認識が形作られる場合がむしろ多い。認識とことばとは、作り作られる双方向的な、ダイナミックな活動なのである。表象をことば転化することにより、思想ははっきりしてくるだけでなく,書く以前には考えてもみなかった表象が新たに沸いてくる。例えば,日記は,知識を単に記憶を想起して陳述する活動のように思われるかもしれないが,実際に整合的な文脈を造る過程で,新しいものが付け加わり,知識そのものが変容したり変革させられたりする可能性があるのである。
以上のように対話や日記等の文章化することの中で、暗黙知を形式知にすることや新しい発想を作り上げていくことを意図的に取り組むことが大切と私は考えている。齋藤孝さん・内田伸子さんから学んだことである。
|
|
|