遊びの手法    多重知能理論を活用した諸活動の手法の開発   ホームトップ  詳細トップ  (2013年12月15日) 

                                                   児童健全育成指導士 田中 純一

多重知能理論を活用した諸活動の手法の開発

 

児童健全育成指導士 田中 純一

 

1、       ガードナーの多重知能理論

 

 ガードナーの多重知能理論によれば、人間の知能は概ね8つに独立して存在しているという。

言語的知能・論理数学的知能・身体運動的知能・空間的知能・音楽的知能・博物的知能・対人的知能・個人内知能の8つである。以下は各能力の私流の解釈である。

言語的知能とは、おしゃべりが上手い知能であり、私流に解釈すると女の子は一般的に男の子よりも2歳くらいは言語的知能に優れている。また仲間とガールズトークすることはリフレッシュとなり、90分以内の昼食バイキングでも時間が足りないことがある。男は一般的にバイキングでも30分程度が限度である。

論理数学的知能とは物事を論理的に考えることができる知能で0.5÷0.1=5になることを、両辺に同じ数をかけても変わらない法則がありから(0.5×10)÷(0.1×10)=5÷1=5となると証明して納得ができることではないかと思う。

身体運動的知能とは文字通り筋肉感覚・運動感覚に優れ、身体を自由に動かすことに長けている。

空間的知能とはラジコンヘリコプターを自由に操縦できる感覚である。

音楽的知能とは絶対音感があるとか、曲を一回聴くと覚えていて演奏できるなどの能力である。

博物的知能とは動植物を見ていて、だんだんとその全体像がわかってくる能力ではないかと思う。

対人的知能とは人間関係を上手く作れることで、一般的にアスペルガー症候群の子どもは苦手で、ダウン症の子どもは優れている。

個人内知能とは自分のことを見つめることができる能力で、ユングのいう人間の心の奥底にある魑魅魍魎などを見つめるようなことができる能力ではないかと思う。

これらの8つの知能は凸凹があるにしても、全ての人間が所有している。また、それぞれの能力は関連しあいながらも独立している。このように考えると、全ての私(各個人)は他の誰よりも優れていることはないし、同時に劣っていることもない。各個人は千差万別で、それぞれに多様な価値を持っていることになる。

それぞれの知能が独立しているから、運転をしながら(身体運動的知能&空間的知能)音楽を聴き(音楽的知能)助手席の人とおしゃべりをする(対人的知能&言語的知能)は可能となる。しかし、携帯電話でメールをすることは、運転と同様に身体運動知能に関わることなので難しい。同様に聖徳太子にように助手席の人の話と後部座席の人の話を同時に聴くことは難しい。

8つの知能はこのように独立しているが、関連もしている。歌を歌う場合に、身体でリズムをとり、仲間と一緒に楽器等を使いながら歌えば、楽しく歌うことが出来るであろう。もちろん、新しい歌詞を覚えるために脳に普通以上の負荷をかけるとすると、脳はそのことに集中することが必要となる。だから、みんなに合わせるとか、リズムを付けるとか、楽器を使うとかは難しい。しかしある程度学びが進み、歌詞を一定程度理解できたならば、単純に歌詞を繰り返し暗誦するよりは、身体運動的知能や対人的知能なども取り入れながらやったほうが、能率的となる。逆に、単純な同じ繰り返しは脳に負荷がかからないので飽きがくる。子どもは飽きて、隣の子どもを突っついたり、鼻をほじったり、穴を掘ったりのいたずらをすることになる。脳がある程度の学びをしたら、脳が飽きないように身体運動的知能や対人的知能も併用することが有意義であろう。

一つの学びをすることは多重知能理論の考えからいえば、同じパターンの学び方にこだわる必要がないとも言える。ある子どもは耳から覚え、あるいは視覚的学びが好きで、またある子どもは身体を動かすことで学ぶこともある。また対人的な関係から学ぶ人もいるし、学ぶときはひたすら孤独が良いとの人もいるであろう。言語もリズムを付ければ覚えられる人もいるし、写真を撮るようにカシャカシャと1ページ丸ごと入っていく人もいるであろう。教師が話をして、子どもがノートすることだけが学習のパターンではないのである。このように考えると学ぶ内容と学ぶ対象によって学習パターンの多様化をすることが必要となる。

 

プラス博物的知能

 

 

 

 

 

2、多重知能理論を応用した活動

 

@アクション折り紙

 折り紙は一般的に静的な活動と思われる。机に座って、先生の指導を受けながら、丁寧に折ると考えられている。男の子は折り紙に飽きて、女の子にいたずらをしたり、他の子どもとふざけたりして、それが次第にエスカレートしてけんかとなって叱られる。折り紙を手先だけの活動から、身体全体を使った身体運動的活動、大声を出してのことば遊び、2人3人のグループ活動、部屋全体を使っての遊びへと変容させていけば、多くの知能を活用して活動することになり、無駄なけんかなどをする暇がなくなり、活動が充実する。

 アクション折り紙はそうした考え方で始めた。

裏面を表にして、折り紙を長方形に折って、部屋の床に立てて、気合だけで倒す。次にまた開いて同じく裏面を表にして、十字形になるように同じ方向に半分に折って頭の上に載せて姿勢をよくして、部屋の中を一周する。

 次に表面を表にして三角に折る。三角に折った折り紙を床に立てて、踏まないように前後ジャンプを50回する。また開いて×印になるように三角に折る。床において左右ジャンプを50回する。これを手に持って、すぼめると風船の基本折りとなる。次に三角に折りあげて正方形の形にして、2人組となり、同時に相手にパスをする。角の三角合わせ折り、羽出し折り、羽の三角半分折りをする。この度ごとに、上に投げて手を何回叩けるかとか、身体の周りを20周するなどの身体運動をする。三角半分折りをした部分を袋の部分に入れて、膨らませれば折り紙の風船が出来上がる。この風船を使って、「どんぐりコロコロ」の歌を歌いながら、風船つきをする。慣れてきたら、どんぐりを入れてやるとどこに飛んでいくかわからないのでとても難しくなる。

 以上のように折り紙をアクション折り紙にすると、音楽的知能・対人的知能・身体運動的知能・言語的知能・空間的知能・対人的知能が関連しながら発達させることができる。子ども達は折り紙を折りながら、充分に身体を動かすので、次の静的な活動の準備体操になる。また、レディネスが違う異年齢を一緒に扱うときに、次の段階まで進むまでの時間調整になって便利である。

 また言語・対人・身体などを一緒に使うので、他の人の意地悪を言ってけんかになったり、手や足が出てトラブルことがなくなる。人間は暇になると何かをしたくなる動物である。手先だけの活動をしているとトラブルが生じるのはある意味で当然のことである。

 

Aアクション朗読

 詩の朗読も一緒である。ただ詩を朗読だけやると、手と足が暇になるので、ついつい隣の子どもを突いたり、鼻くそを他の子どもにつけたり、鉛筆でいたずら書きをしたくなるものである。ですから詩の朗読でも身体を動かし、リズムを付けてやれば楽しく遊べるものである。

    おむすびころりん

 むかしむかしのはなしだよ   (手を大きく振りながら)

 山の畑を耕して        (畑を耕す動作)

 おなかがすいたおじいさん   (おなかに手を当てる)

 そろそろおむすび食べようと  (おむすびの袋をもつかっこう)

 包みを広げたそのとたん    (包みを広げる動作)

 おむすびひとつころがって   (おむすびがころがすどうさ)

 ころころころりんかけだした  (おむすびをおいかける)

 まてまてまてとおじいさん   (おむすびを追いかけ続ける)

 おいかけっていったらおむすびは(ゆかのところまで追いかけ、ちいさくなる)

 畑のすみの穴の中       (穴を見つける動作)

 すっとんとんと飛び込んだ   (穴に近寄る)

 覗いてみたら真っ暗で     (穴を覗く)

 耳を当てたら聞こえたよ    (穴に耳を当てる)

 おむすびころりんすっとんとん (両手を左右に上げることを4回)

 ころころころりんすっとんとん (手をぐるぐる回し、両手を左右にあげる)

 これはこれはおもしろい    (楽しそうな様子)

 もう一つおむすび転がすと   (おむすびを転がす)

 聞こえる聞こえる同じ歌    (耳を当てる)

 おむすびころりんすっとんとん (両手を左右に上げることを4回)

 ころころころりんすっとんとん (手をぐるぐる回し、両手を左右にあげる)

 おなかがすいてることなんか  (おなかに手を当てる)

 忘れてしまったおじいさん   (楽しそうな様子)

 歌にあわせて踊りだす     (踊る用意)

 おむすびころりんすっとんとん (両手を左右に上げることを4回)

 ころころころりんすっとんとん (手をぐるぐる回し、両手を左右にあげる)

 とうとう足を滑らせて     (足を滑らせる)

 自分も穴へすっとんとん    (穴に落ちていく)

 おじいさんころりんすっとんとん(ねずみのかわいい表情)

 おむすびたくさんありがとう  (頭を下げるねずみのようす)

 おいしいごちそうさあどうぞ  (ごちそうを差し出す)

 ねずみのおどりを見てください (かわいいねずみの表情)

 おむすびころりんすっとんとん (両手を左右に上げることを4回)

 ころころころりんすっとんとん (手をぐるぐる回し、両手を左右にあげる)

 おれいにこづちをあげましょう (こづちをあげる)

 おれいのこづちをてにもって  (こづちをもって家にかえる)

 おうちにかえっておばあさんと (こづちをふりながら)

 おどったおどったすっとんとん (小づちを振り続ける) 

 するとどうしたことだろう   (ふしぎそうな顔)

 こづちをふるたびあれあれあれ (こづちをふりびっくりする顔)

 金の小判がざあらざら     (金の小判がたくさんあるようす) 

 白いお米がざあくざく     (お米がたくさんあるようす)

 それから二人はいつまでも   (両手を叩く)

 仲良く楽しく暮らしたよ    (両手を叩く)

 おむすびころりんすっとんとん (両手を左右に上げることを4回)

 ころころころりんすっとんとん (手をぐるぐる回し、両手を左右にあげる)

 

 上記のように朗読にリズムとメロディと身体を動かすことをやれば、いくつかの知能が使われるので、楽しく集中して活動することができる。最初は指導者がワンフレーズずつやって見せ、子ども達にリピートさせる。ある程度慣れてくると脳が飽きてくる。その状態になったら、子ども達が動作をしながら、話していて、それが終わりかける時に次のフレーズを早口で伝える。脳には発声しながら、次のフレーズを聴く能力がある。発声すると言うことは言語的知能であるが、発生することがオートマチックになることで身体運動知能の一部でカバーして、聴く方に脳を動かすことが出来るようになるのである。

 繰り返し練習していると普通モードで動きもことばもリズムもメロディも出てくるようになる。するとまた脳に負荷がかからなくなり、脳が暇となり、飽きが来て、やりながらでも他の子どものいたずらができるようになる。このような状況になってきたら、また脳に負荷をかけることが必要となる。そこで普通モードから1.4倍速モード・2倍速モード・4倍速モード・あるいはスローモーションモード・無声音モードなどに切り替える。子どものレディネスのちょっと上のモードにして脳に適度の負荷がかかることが大切である。ヴィゴツキーの最近接領域の概念がここでは重要になる。

 子どものレディネスのちょっと上のモードで適度に脳に負荷をかけると脳が活性化して学びが促進するように思う。ただし負荷がかかりすぎてもいけない。微妙なさじ加減が必要である。

 こうしたちょっと脳に負荷のかかる活動は概ね小一時間が適切であるようだ。45分から50分くらいのようだ。2時間3時間の活動をやるためには、ちょっと脳を休める時間をおくことが必要となる。概ね5分から10分の休憩が必要であると思われる。

 

Bわらべ歌&じゃんけん遊び

 日本のわらべ歌やまりつき歌などは多重知能理論を先取りしていた活動だと私には思える。言語的知能・身体運動的知能・対人的知能・音楽的知能・空間的知能などが同時に入っているとても良い活動である。しかしながら、昨今だんだんとこうした遊びが減ってきて、電子ゲーム遊びなどでしか遊べない子どもが増えていることは、とても不幸なことではないかと思う。電子ゲーム遊びだけでは手先の運動にはなるだろうが、対人的知能や言語的知能・ダイナミックな身体運動知能などを養うことはできない。今こそ、もう一度日本の良さであるわらべ歌の復活を図りたいものだ。

 みそラーメンじゃんけん

せっせせーのみそラーメン
    おてらのおしょさんが かぼちゃのたねをまきました
    めがでて みがなって
    おてらのなかから ゆうれいさんがユーユー
    ゆうれいさんのあとから どろぼうさんがかねだせかねだせ
    どろぼうさんのあとから おまわりさんがバッキュンバッキュン
    おまわりさんのあとから コックさんがジュージュー
    コックさんのあとから おすもうさんがドスコイドスコイ
    おすもうさんのあとから 
    ももたろさんももたろさん
    おこしにつけたきびだんご
    ひとつわたしにくださいな
 
 夏も近づく八十八夜のようりょうでやります。芽が出たり、実がなったり、幽霊の手の様子、泥棒の仕草、おまわりさんのピストルを撃つ姿、フライパンをジュージューする様子、四股を踏む様子を楽しくやり、ももたろさんの後に一回ジャンケンキビ団子の後に2回目のジャンケンくださいなで最後の3回目のジャンケンで勝負をします。このときもあいこなら握手とか抱き合うとかすると友達の輪が広がります。

 

 みそラーメンじゃんけんは10年以上前に小学生から教えてもらってものです。学校で、はやっていた遊びを自分達なりにアレンジしたもののようです。大人では考えることが出来ない意外な展開が面白く、子ども達に人気がある遊びです。ネットで検索してみても、これと同じものは見つかりませんでした。子ども達はいつも意外な創造性を持っています。これらのじゃんけん遊びをやっていた子ども達はもう大学を卒業した子ども達です。ダンスが好きで、1日5時間踊り続けたことも多々ありました。自分たちで曲に振りをつけ、妹を含めて低学年に厳しい指導をしていました。私もじゃんけん遊びをいろいろやっていました。お馬さんじゃんけん・じゃんけんおまわりさん・八十八夜・グーチョキパーで何しよう・グリーンピースじゃんけん・お前の刀はさびがたななどです。そんな遊びの蓄積の中で、子ども達がみそラーメンを作ってくれました。

 子どもの活動を活性化させるためにはヴィゴツキーの最近接領域に関することを考えて、子どもの一歩先を提供することが必要となります。でも一歩先を見つけるためにはいつも逆に子どもから学ぶ必要性があります。ですから、やはり、私もがんばるけれどみんなもがんばっているとの価値観が必要なのかもしれません。ガードナーの多重知能理論の奥の深さを感じます。

 当時じゃんけん遊びをしていて気づいたことがありました。それは、われべ歌などのじゃんけん遊びで最後にじゃんけんをしてあいこになると、エスカレートしてけんかになることが多いことでした。長々とやって最後は勝ちたいとの意識が強くなるのです。「あいこでしょ」「あいこでしょ」「あいこでしょ」などとあいこの数が増えると2倍・4倍・8倍と勝ちたくなるようです。そして負けると「遅だしをした」などとのけんかになります。この解決方法がないかと思っていました。あるときに、無理に決着をつけなくても良いのではないかと気づきました。そこであいこは握手にしようと提案したら、案外、子ども達はすっきりと納得をしてくれました。よく考えてみるとじゃんけん遊びの目的の一つは、対人的知能を高めることにあります。ですから、あいこで握手のやり方は、対人的知能を高め、いろいろな人とじゃんけんが出来るための良き手法でした。いろいろなところで時々じゃんけん遊びをしますが、あいこになったら握手といっても、あいこでしょをくりかえしている場面が多く見受けられます。あいこは握手を増やしたいと思っています。

 

3、       活動の多様化のための手法

 

 @組み合わせを考える

 児童クラブや保育園・学校などのように長時間にわたって子ども達と接しなければならない場合があります。まったくの自由にさせれば、だらだらのままになります。やはりメリハリを付けることが必要です。アクション折り紙やアクション朗読・わらべ歌などを取り入れることは活動にメリハリを付けることになります。もちろんカプラ・オニム・ブロック・ワミー・どうぶつしょうぎ・写し絵などの静的な活動もあります。このような静的な活動をする前にアクション折り紙等の適度に身体を動かす活動を取り入れると、静的な活動の集中力も高まるようです。アクション折り紙とカプラ・アクション朗読とどうぶつしょうぎなどを組み合わせれば多様なワークショップをすることができます。

 身体を動かす点では、ドッヂボール・サッカー・鬼ごっこ・ビーチバレーボールなどの運動遊びもあります。これらの瞬発力を必要とする遊びは、急激に身体の酸素を使いすぎるためか、集中力を必要とする静的な遊びの前にやると上手くいかないケースがあるようです。

 1日の流れで考えるならば、午前中にアクション折り紙とカプラ・昼食後に一休みしてビデオ等を見る。そしてドッジボールやサッカーなどをして、おやつを食べるみたいなパターンが良いと思われます。

 脳への負荷を考えながら、メリハリのある組み合わせを考えることが必要と思います。いろいろな知能を組み合わせ、一日の中でそれぞれの知能が上手く発揮で来るように、工夫して変化を付けることが大切と思う。

 児童クラブにおいては活動を何にするかは基本的に自由になっています。クラブごとにサッカーをやる・ダンスが得意・折り紙が上手い・ドッジボールが好き・本将棋がはやるなどの特徴があることは大切です。同時にいろいろな知能を上手く発達させるように、いろいろな活動を取り入れることも大切と思います。小学生時代の子どもはいろいろなものに興味を持つ時代でもあるのですから。

 

A活動の中に「働き」「学び」「遊び」のバランスを

 児童館・児童クラブでは遊びを通しての健全育成が必要と言われています。それは学校が「学び」に特化しすぎた反動なのではないかと私は感じています。本来的に全ての活動の中には「働き」「学び」「遊び」の3つが内包されていると思います。「働き」「学び」「遊び」を全ての活動の中でバランスを上手くとることが必要であると思います。

 とくに最近は働く経験が子ども達に極端に不足しています。働く経験を必ず諸活動の中に入れることが大切だと思います。

 カプラをやる活動で考えてみましょう。カプラをやる前に、遊戯室や部屋の要らないものを片付けて、広くして遊べる準備をします。これはワーカーがやってあげるのではなくて、子ども達がやるようにすることが必要です。こんなときに持てもしない机を無理に運ぼうとする目立ちたがり屋がいるものです。実は働くとは人のために動くとの意味ですから、人のためにならないようなことをするのは働くではないと教えましょう。それぞれの能力に合わせて、自分なりに働くことが大切だと教えることです。最後の後片付けも一緒です。低学年の子どもが10本くらいづつ一定方向に縦にして上級生に渡す。上級生が箱の中に同じ方向にそろえて入れる。こうした活動は無言でテキパキとやらせることが必要です。

 準備ができて、カプラの基本をワーカーが教えることになります。「カプラを投げない」「カプラを汚さない」「カプラで他人を叩かない」そして「寝る」「起きる」「立つ」の基本的な扱い方です。これは学びですから、口を閉じてしっかりと話を聴いたり、やってみたりすることが必要となります。不必要なおしゃべりやふざけは許されません。

 この後に自由にカプラを使って遊ぶことになります。途中でレベルアップのために仲間作りをしたり、積み方の学びがあったりしますが、それは学びですから、しっかりと集中させましょう。

 90分間カプラをやるとすると、後先5分合計10分間の働き・20分間の学び・60分間の遊びといったバランスとなります。「働き」「学び」「遊び」の適度なバランスが子ども達の活動にメリハリをつけて楽しいものとなります。最初から最後まで遊びぱなしでは脳が飽きてきて、遊び自体がくだらないものになることが多いように私は感じます。ワーカーも子ども達の活動の様子から学び、それを発展させることが必要です。ワーカーにも「働き」「学び」「遊び」のバランスが必要となります。なお働くは国字で日本人が作った漢字です。お金を稼ぐとの意味はないようです。下記は広辞苑からのコピーです。

うごく。宇津保物語蔵開下「鯛・鯉は生きて―・くやうにて」。古今著聞集20「其の中にへしこめて、―・かぬやうにおしおほひてけり」。平家物語1「聖を追出ついしゆつせんとしければ…またくいづまじとて―・かず」

精神が活動する。平家物語4「神慮も動き、太政入道の心も―・きぬらんとぞ見えし」。日葡辞書「ココロノハタライタヒト」「キノハタラカヌヒト」。「勘が―・く」

精出して仕事をする。方丈記「常に歩き、常に―・くは養性ようじようなるべし」。「よく―・く人だ」

他人のために奔走する。傾城禁短気「亭主日比ひごろ懇にする馴染甲斐には、こんな所を―・け」

効果をあらわす。作用する。好色一代女2「その銀かね―・かずして居喰いぐいの人は思ひもよらぬ事」。「引力が―・く」

(他動詞的に) (悪いことを)する。「盗みを―・く」「乱暴を―・く」

(文法で)語尾などの語形が変化する。活用する。「四段に―・く」

B声かけの微妙なタイミングをつかむ

 臨床心理学の考え方の中に星の時間との概念があります。

臨床心理学面接特論の中で大場登先生がセラピストの問いかけとコメントの中で以下のように述べられていたので紹介したいと思った。
 セラピストがずっと「この可能性・仮説にいつか触れる時がくるかもしれない」と待っていた、まさに「その機会」「その時」と感じられることがある。セラピストが抱いていた仮説にぴったりの「事件・エピソード」が生じたりする。その「時」を逃がしたら、もはや永遠にその「時」は戻ってこないような「時」は、人生の中にも、心理療法の中にもある。ドイツ語に”sternstunde”という言葉がある。文字通り「星の時間」という意味だが、いわば「運命の一瞬」とも言うべき「時」のことである。”sternstunde”はもちろん「問いかけ」「コメント」の最高のタイミングである。同じ内容の「コメント」もその「時」を逃がせば「ただの意見」になるさがる。セラピストには、絶えざる「仮説構築」の努力と、セラピー内外に生じる「時」への「自由で漂える関心・注意」そして「時」を感じとった場合の「絶対的能動性」が要請されている。

星の時間のような決定的なことばかりではないが、子ども達と活動しているとそうしたときがある。だから子どもとの活動が楽しいのかもしれないが。

例えば、カプラを積んでいて、カプラが壊れたりすることがよくある。近くに誰かが通ったりすると、急に怒り始める子どもがいる。必ずしも相手の子どもが原因でなくても、オートマチックに勘違いをするのである。こんなときには微妙なタイミングで(このタイミングは子どもが怒りの言葉を発生させる直前が良い)『あら良い音がしたね』と声かけをすることが適切である。良い音がしたと言われると良い音をさせたのは相手ではなくて、積み上げた自分であると思うから、怒りの感情は芽生えなかったり、抑えられるのである。緊張して積み上げるという身体運動的活動から壊れる音を聴く。周りにみんなが見ているなどの対人的知能や個人内知能に知能が転化するときに、適切な言葉をかけてあげると、心は言葉のように感じられる。言葉と心は関連している。悲しいから泣くのではなくて、泣くから悲しいこともある。『良い音がした』と言われることで、怒りの感情が減り、喜びの感情が大きくなる。この感情の転換点は、多重知能理論におけるある知能からある知能に重点的に移行するときに出現するようだ。だとするならば、移行点が声かけのタイミングであるとも言えるのではないか。

ワーカーはいつもこの移行点を(ターニングポイント)自覚し、そのときの声かけのパターンを複数用意しておいて、相手がびっくりして大喜びをするような声かけができるように訓練しておくことが必要である。微妙なタイミングを見つけること。それに備えて複数の声かけを用意しておくことが必要である。カプラが壊れたときに『まあいい音ね』の一つでは相手の子どもの脳が飽きて満足しない。『すばらしい音だ』『カラカラでカラみたいね』『せっかくそこまで作ったのに、でもよく我慢ができたね。えらい』『人生とはこんなもんだね。私も悲しいけれどがんばるよ』『先生が念力で壊したのです。本当に本当にごめんなさい』『○○ちゃん念力で人のカプラを壊してはいけないでしょ。あやまりなさい』『ちょうど片付けるタイミングだった。さあみんな片付けよう』などなど言葉がけは複数用意して、相手の思考が及ばないものを多数繰り出すことが大切と思います。それが子どもよりもちょっと先に生きてきている意味だと私は思います。

カプラのワークショップも含めて、ワークショップにおいて留意しなければならないことは、予測されるであろうターニングポイントにおける声かけだろう。このターニングポイントは子ども達同士の関わりの中で偶然的に生じることが多い。例えばカプラが崩壊するなどの事態がそれである。ですからいつも偶然に生じるターニングポイントをしっかりと見ておくことが必要である。昔から『目を離さず手を出さず』が子どもの指導においては大切だと言われていたのはこのことであろう。指導の下手な人ほど実際は見ていないで、状況だけでヒステリックな注意をしていることが多い。例えば男の子が女の子を叩いたとする。叩いた行為のみを責めることが多い。実はその前に女の子が辛らつなことを男の子に話していることも多い。このことを見ていないで、叩いたそのものだけで注意をするのは愚かなことであろう。

こうした『目を離さない手を出さない』(understand=下側に立つ=理解する)の実践とともに、ワークショップでは意図的なターニングポイントを作ることができる。脳は同じことをしていると飽きてくる。適度な負荷をかけたりするとともに、主に言語的知能を培う活動から身体運動的知能を発達させる活動へと主たる活動を転換していくことが必要となる。このときがターニングポイントである。ワーカーはこれを意図的に行うことができる。このポイントをしっかりとつかみ、そのときの声かけのタイミングと内容を意図的に実施することが大切であろう。

よく小一時間といわれるけれど、同じことの繰り返しは45分から50分の小一時間が適当であろう。小学校の授業が小一時間である所以でもある。小一時間やって小休止。別のパターンでまた小一時間が良いと私は感じている。120分などの連続した活動では、主に身体運動的知能を高めるものを小一時間。ちょっと小休止。主として言語的知能を高めるもの小一時間。小休止。対人的知能を主に高めるもの小一時間。質問等の時間とすれば充実したものになるであろう。ガードナーの別の知能へと転換することをワーカーは意図的に仕掛けることが大切である。意図的な仕掛けは小一時間の活動の中で、潜在的に変化を求めている子ども達(あるいは受講者)のニーズに合致しているので、ワーカーの仕掛けとの感じよりは、子ども達(あるいは参加者)の高まりの中の変容と感じられるのである。

ワーカーが概ね小一時間で活動の変容を図るとすれば、そのときの声かけをある程度準備しておくことは可能である。子ども達の偶然性だけに依拠しないで、自らの働きかけでターニングポイントを作るのだから、やりやすくなる。

例えば、ガードナーの多重知能理論を活用して、紙飛行機の作り方を学ぶ。次に折り紙で風船の折り方をみんなでやる。定着が図れた後に、
「それでは、この風船を使ってどんな遊びができるか、5人くらいずつグループを作って、チャレンジしてみましょう。」などの声かけで一人の活動から対人的活動、手先の活動から全身的な身体運動活動へと変容させていけば、再び脳は活性化して、楽しく活動を続けることができる。当然、1人から小グループへの変容となるのだから、仲間作りのイザコザが想定されるであろう。
「仲間を作るときは5人くらいでね。もちろん6人でも7人でも良いよ」
「さすが3年生だね。1年生を仲間に入れてくれる。すばらしい」そして意地悪をして仲間に入れてあげないグループに近寄って、ちょっと怖い声で
「仲間はずれは許さないぞ。お調子に乗るな」と話しかけ、仲間に入れてあげると同時に
「君達はなんてすばらしい子どもたちなのだ。ここはすばらしいクラブだね」などとほめる。こんな風にたくさんの適切な言葉かけが大切であろう。またいつもほめることだけではないだろう。叱るときは個人的もしくは少数のときに行う。そして最後はみんなの前でほめる。叱ることはとても大切である。なおみんなの前で叱るときはロールプレー(=ごっこ遊び)にして、嘘んこ叱りごっこにすれば、やっていけないことをしっかりと伝えることができる。
 必要なのは適切なときに適切な声かけをすることである。その微妙なタイミングをしることだ。そしてタイミングは、活動のターニングポイントに生じることが多い。ターニングポイントには子ども同士のトラブルや偶然の発見などの偶然性の場合とワーカーが意図的に実施する場合がある。


 
4、多重知能理論と仮説証明法
 多重知能理論自体が一つの仮説の上に成り立っていることは間違いないであろう。こうした仮説が正しいか間違っているかの証明法には基本的に三つあるという。一つは演繹法であり、もう一つは帰納法である。演繹法の場合は最初の論理が正しいとの前提がなければならない。一見論理が正しそうでも、必ずしも正しいと言えないことは多い。例えば『非暴力』みたいな主張と一緒で正しそうだが、不当な暴力にどう対処するかは手法が存在しない。帰納法は間違いではないが、全ての証明をすることには時間的空間的時代的社会的制約の中で無理な場合もある。
 仮説証明法(=アブダクション)は一つの仮説を立てて、概ね3回くらい成功すれば、その手法や仮説は正しいことが多いと考える証明法である。例えば超アグレッシブ(普通粗暴というが)な子どもに対して、受容し共感して対応すればよくなるとの仮説がある。でも何回やってみても上手くいかない。すると受容共感の仕方が悪いと言う。でも結局は上手くいかないことが多い。私はそれよりもみんなで『ダメなものはダメ』としっかり意思一致し、毅然たる態度で対処するとともに、「働き」「学び」「遊び」のバランスをとり、働く経験をたくさん積むと子どもは自尊心を取り戻すとの仮説を立てて対処している。すると現実に何人もの超アグレッシブな子ども達が、危険な行為をしなくなり、ほめられる経験が多くなる。結果的にみんなと仲良く遊べるようになる。受容共感との念仏を唱えるよりは効果的で子どものためになる。
 多重知能理論の考えも一つの仮説である。技能知識の習得に時間がかかる人がいる。それを『しっかり見て、静かに聴いていなさい。そうすれば必ずわかるようになる』との言語的な知能だけに依拠しないことも必要ではないか。身体を動かしながらやってみたら、上手くいくかもしれない。目をつぶってやったらすっきり入るかもしれない。とりあえず体育館で走らせてから学ばせたらやる気が出るかもしれない。実際に触らせたり、食べてみたりしたらわかるかもしれない。いろいろな手法があるだろう。一つの手法にこだわらないで、いろいろな手法を使ってみよう。そして上手くいったら、その手法を取り入れればよいし、上手くいかなければやめればよいだろう。仮説は一つではなくてたくさんの仮説があってよいだろう。そしてチャレンジしてみよう。

 仮説証明法は現実を生きていくためにはとても大切なことである。