遊びの手法         子どもの叱り方       ホームトップ  詳細トップ   


 子どもの叱り方についてお母さんたちが悩んでいることが多い。私は午前中は乳幼児の集いの指導をしている。また同じ経営の保育園児の指導やお隣の保育園の子どもたちにローラースケートを教えている。午後からは放課後児童健全育成事業である児童クラブ1年生〜3年生まで90人を担当し、同時に4年生〜6年生のジュニアクラブ50人を3人の職員と担当している。 自宅の前に2千坪の大きな公園がある。この公園を自治会とボランティアで協力してきれいにすることで、地域の全体の健全育成につとめている。この公園には財団法人児童健全育成推進財団が仲介してくれた「宝くじ協会」の遊具があり、午前中は乳幼児や保育園児・幼稚園児がたくさん遊びに来る。午後からは小学生低学年・その後は高学年・夕方には中高校生やフリーターの子どもがバスケットやサッカーにやって来る。たくさんの子どもたちを見ている中で気づいたこと・子どもから学んだことを通し、子どもの叱り方について考えてみたい。

         

 「叩いてはいけない」という嘘
 子どももたちが悪いことをしたときに叩くと子どもも叩くことを学習し、暴力を振るうようになるから叩いてはいけない。なぜ悪いことなのかをしっかりと教えることが大事であると教えることが必要であるとの考えがある。これは一見正しそうで、お母さんたちの頭の中を支配していることが多い。でも現場にいるとこれは嘘であることが分かる。第一に暴力を振るう子どもが親から暴力を振るわれていることと関係性があるとはいえないことである。また、暴力を振るう子どもは一見優しいお父さん・お母さんに過保護に育てられていることのほうが多いからである。むしろやっていけないことをきちんと身体で教えられてこなかった子どものほうが、暴力を振るうケースのほうが圧倒的に多いのである。例えば、第1子長女・第2子次女と続けて生まれ、しばらくして生まれた第3子長男は過保護と過干渉・わがままから我慢ができないで暴力を振るうケースは現場では多く感じられる。第2に小学校3年生くらいまでの子どもの理解は言葉ではなく、身体で理解するほうが多い。そのため言葉で縷々と繰り出して、やっていけないことを教えても子どもはほとんど聞いていないほうが多いのである。話せば分かるものではないものを、言葉だけに頼ろうとする結果、イライラが募り、子どもの頭等を叩いているお母さんも多い。それがエスカレートして児童虐待へと発展することもあるように感じられる。

 「感情的に叱ってはいけない」という嘘
 子どもを叱るときに感情的にならずに「なぜ危険なことをしてはいけないかをきちんと話すことが大事。感情的に叱ってはいけななどというのは嘘の塊であると私は思う。そもそもなぜ叱るというかというと、自分の子どもであったり、自分のクラブの子どもでその子どもが好きだから叱るのである。自分と関係ない子どもを叱る人などめったにいない。(私は時々自然科学館でわがまま放題で走り回る子どもを自分のクラブの子どもと間違ったふりをして叱るけれど)自分の関係者だから、好きだから叱るのである。叱るという行為は感情的なものであり、けっして勘定的なものであってはならない。冷静に叱るなどという行為は基本的にないと思う。
 よく優しさが売りの保育士・幼稚園教諭・小学生教諭・児童厚生員がいるけれど、私は最近は偽者と考えている。もし自分の子どもなら子どもの行動をしっかりチェックしているし、チェックしていれば子どもなどは悪いことをするものだから、危険を感じたりして叱るのが普通である。「優しさ」というのはたんにその子どもに愛情を感じていないことのほうが多いか、子どもに媚びていることが多い。

 「一人っ子は経験が少ない」という嘘
 少子化時代で子どもの数が少なくなり、子どもの経験が少なくなってきている。そこで兄弟姉妹数が少なくなる。子どもが3人・両親に祖父母同居の2世代家族だと家族数は7人で子どもの人との体験は20パターン位を経験することになるが、母子家庭なら1パターンしか経験ができないから、経験が少なくなり、問題を起こすことが多い。これも後で詳細に論じるけれどほとんど嘘である。


 私の主張

 「子どもは時としてきちんと叩かなくてはいけない」
 子どもは非常にアグレッシブな存在である。男の子どもの多くは、棒があったら振り回し、石があったら投げ、穴があればほじくり、じゅうたんはむしり、カーテンにはしがみつき、何か転がってくれば蹴るという本能がある。試しに子どもの前にボールを転がしてみてみれば分かることである。歩けない子どもは手で払うし、歩ける子どもはキックすることが多い。(女の子どもはキャッチすることもある)とにかく身の近くにあるものはキックしたり、振り回したり、投げたりする本能があるのである。これはほぼ無意識でやっていることのほうが多いから、「どうして石を投げるの?危ないでしょう。なげちゃダメ。」などと言葉で叱り、またやると「またやった。あんたは何度言ったら分かるの。何を考えているの?」などと叱る。それでも繰り返されるとお母さんがプッツンして頭を叩く。子どもは石を投げたりして、お母さんが怖い顔でにらみつけるとまた頭を叩かれるかと頭に手をやって防御する格好をしたりするようになる。また弟や妹・小さな友達の頭を平気で叩く子どもも出てくる。
 最初が間違っていると私は思うのである。男の子どもは無意識と本能で石を投げているのだから、「あんたは何を考えているの?」と言われても困るのです。実は何も考えてはいないからです。石や物を投げる行為自体は人間にとって必要な行為です。ですから、よほど危険なことでない限り、見逃してあげるのが良いと思います。その代わり明らかに危険だと考えられるときは、黙って子どもに近づいて行って、子どもの目線のさらに下まで下がります。そして石を投げた手を「パチン」と強く痛いぐらいに叩いてあげましょう。叩くのがイヤなら痛いほど強く投げた手を握りしめてあげます。びっくりして泣いたら、「この手が悪かったね。あなたはとてもよい子よ」と抱きしめてあげましょう。男の子どもの手足の行動と頭の中はけっこう分離しているものです。またこうした叩き方をすれば、弟や妹・友達をむやみに叩くことはなくなります。有明児童センターの小学生の子どもたちは乳幼児と遊ぶのがとても得意です。ドミノ倒しなどをしていて、まだしゃべれない子どもがドミノを倒したりして邪魔をすると、その手を軽く叩き、「この手悪い、あなたは良い子。みていてね。後で倒させてあげるから。」と教えています。ですから放課後に乳幼児が遊びに来てもさほど苦労がありません。
 男の子どもの10人の内の7人から8人がアグレッシブです。女の子どもはその割合が10人の内1割未満になります。アグレッシブでない男の子の10人の内の2人と女の子の10人の内の9人はどのようにしてやっていいことと悪いことを学ぶのでしょうか。実はアグレッシブな子どもが叱られるのをみて学ぶようです。月曜日に乳幼児サークルドラエモンという活動をやっています。そこに双子の男の子どもがいるのですが、とてもアグレッシブです。ラーメン・うどんが好きで、私が昼食を食べていると、私のラーメンに手を突っ込んできます。私は熱いからダメとパチンとやったりします。双子の相方と他の子どもは私に怒られる姿を見てやっていけないことを学習します。他の子どもが叱られるのをみて学習する子どももいるのです。ところが優しさのオンパレードで叩いていけない・怒っちゃいけないなどということが蔓延し、叱られることのない環境では、学習することができない。そのために逆に不当な暴力の容認者や傍観者になり始めている子どもたちも増加しているように私は感じています。

 「感情をこめて叱ることが大切である」
 感情的になってはいけないということがさも正しそうに言われるけれど、これほどの嘘はない。人間も含め、生物は感情を抜きには語れない。感情がなくてよいならば、みんなロボトミーの手術をすれば立派な社会になるとでもいうのであろうか。子どもに対し、愛情があるから叱ったり、怒鳴ったりするのである。ケースワークやグループワーク・コミュニティーワークなどにおいて自分だけは客観的立場に立って冷静にとかいうのも好きでない。そんな立場などあまりないのである。常にワーカーであっても当事者の一人である。ましてや子育ての場合、親は感情的に子どもに接するのは当然だし、感情を抜きにして冷静に子どもに対するなどというのは勘定的である。勘定的に接しられることに子どもは反発を持つのである。
 問題は感情的になってはいけないのではなくて、感情をコントロールすることが大切なのである。
 子どもを叱るときは感情を込めて叱らなければいけない。「これだけあなたを愛しているんだ」という感情を込めて叱らなければならない。しかしながら、その感情は親であるがゆえに盲目的なところもあるので、意図的にある程度コントロールすることが必要である。
 子ども同士が遊んでいて、自分の子どもが他人の子どもをおもちゃの取り合いからキックをした。もちろん相手も多少悪いところがあるけれど、キックに危険な要素がある。こんなときは相手のお母さんのことを考えたりしてついかっとなって「何をしてるの。危ないでしょう。」と叱ったり、毎度のことだと頭を叩いたりしてしまうものです。(最近はまったく平気で叱らないお母さんも増えていて困るのですが)こんなときこそチャンスと思い、感情をコントロールし、にこやかにキックをした子どもに近づいて、子どもの目線のさらに下に立ち、キックした足をパチンと叩くか、痛いくらいに圧迫し、「この足は悪い子だ。」という。そして子どもが泣くなり、痛みが分かったら「でもあなたは良い子よ。足が悪い子だったね。」と教えてあげることが必要である。
 子どもの目線のさらにその下に立つこと(understand)で感情をコントロールすることができます。またunderstandすることで、キックの原因も別のところにあることも理解できる(understand)こともあるものです。上からだけでは見えないことも多々あるのです。叱るなら感情を込めて真剣に叱るべきです。そのためには子どもの行動を目を離さないで手を出さないでしっかり観察しておくことが必要です。よほどの危険がない限り多少のトラブルは我慢しましょう。そして絶対にきちんと叱る必要のあるときに感情をこめてしっかりしっかり叱りましょう。感情をコントロールすることで、叱る頻度は3分の1になり、効果は倍増します。

 一人っ子よりも第3子長男が心配
 一人っ子は家族数が多い家庭よりも経験が少なくなるので、問題があるといわれることが多い。私の職場でも一人っ子のお母さんはけっこう心配している。「妹や弟がいればいいのですが、いろいろな事情で一人っ子なのですが、みんなとなかよくやっていけてるでしょうか?」との相談を受けることが多い。本当は第1子の場合みんな始めての経験なので心配なだけなのですが、一人っ子ということまで付加されるので、親も大変である。現場でunderstandしていると親の心配の割には一人っ子であることが問題行動と関係のあることが少ない。あえて関連性があるとすれば第3子長男のケースが多い。長女・次女と生まれ、女の子は育てやすいので順調にだいたい育つ。お母さんも女だから女の子どもの気持ちは分かるので育てやすい。
 なかなか男の子どもが産まれないで待望の第3子長男の誕生となる。お父さんは仕事の中核にいるのでなかなか忙しい。お母さんとお姉さん2人と祖父母4人が過保護に育てる。お母さんも女だから男の子どもの気持ちはよくわからないのでますます慎重に育てる。その結果わがままで自己中心・何でも自分の思い通りにならないと気がすまない子どもになってくる。また、先に先にと周りが手伝ってくれるので、自らやるという自己充実感がない子どもになってくる。一人っ子が問題行動を起こす確率よりも第3子長男が問題行動を起こす確率のほうがはるかに高いと私は感じている。
 
新しい仲間作りを
 少子化の問題は兄弟姉妹数の減少によるものではない。おじさん・おばさん・従兄の数が減少することによって、親類がちょっと集まっても同年齢の子どもたちと一緒に群れて遊ぶ経験の少ないことがおおきな問題であると私は考えている。親族が多ければ子どもの数も多くなり、必然的に子ども同士が切磋琢磨する機会が多くなる。その機会がなくなった現状では新しいコミュニティーを作ることが必要とされる。児童館・児童クラブ・保育園・子育てサークル・公民館・近所の仲間・幼稚園仲間などなど子どもたちのために親同士が仲良くなり、新しく子ども同士が切磋琢磨できる空間と時間と仲間を作ることが必要である。例えば自宅開放・例えば公園緑化を通しての子ども仲間作り・サッカー・野球・ミニバスなどの部活動を通しての仲間作りなどをできる場所からできることをやることが大切と思う。
 
他人の子どもを叱ること・集団的躾の必要性
 躾は家庭がやるべきとの考えがある。私は躾にも個人的な躾と集団的な躾があると考えている。個人的な躾とは排泄の習慣・箸の持ち方・自分の身の回りの整理整頓・歯磨き・洗顔などが考えられる。こうしたことは家庭でしっかりやることが必要である。これに対して集団的躾・・・・・友達とルールを守って遊ぶ・自己中心でやらない・小さい子どもへの思いやり・順番を守る・遊具を一人占めにしない・・・・・と言ったことは周りのいとこがいない現状では、今のコミュニティーでは実現できないのである。ですから新しい仲間作りコミュニティー作りが必要となります。でもこのコミュニティーではまだ集団的躾を学んでいない子どもがほとんどなのです。子どもの中には超アグレッシブな子どももいるのです。超アグレッシブな子どもが危険な行為をしたら、しっかりと叱る存在がその子どものお母さん以外にいることは大切です。私は「また、噛み付いて本当に困ったもんだ。今日は私の子どもにして家に連れて帰って合宿だ。もう中田家には躾を任せておけない。」などとお母さんの前で平気で叱ったいます。お母さんも「そうだそうだ。田中家にもらわれて行きなさい」などと演技をしてくれます。
 他人に叱られる経験というのはとっても大切です。児童厚生員や保育士・教員はしっかり叱れる存在であるべきだと思います。
 

 具体的な事例

 事例1 双子ちゃんの場合
       
 最近は排卵促進剤の関係もあり、双子の出生率が増えている。有明児童センターにも双子サークル「えだまめキッズ」の人たちに月に2回ほどグループで遊びに来る。親子で遊びましょうは普通親子15組30人くらいだが、えだまめキッズが来ると親子25組60人となる。遊びの内容も変更が必要である。例えば親が子どもを抱っこするような遊びは子どもの数が多くなるのでできない。
 双子ちゃんはとても可愛い。同じ顔を二つあるというのはそれだけで人を癒す機能を持っている。けれどお母さんは大変である。まだ、しゃべれない1歳くらいの子どもでもやることはアグレッシブである。一人がご飯を食べている間にもう一人はピアノの上に乗ろうとするし、一人がブロックを投げれば、周りのみんなも投げつける。男の子どもの双子を持つお母さんのほとんどが怒鳴ることの連続だと言っている。そして、危険な行為があると叩くことも多いと言っている。ユング派の臨床心理士河合隼雄先生が「親は子どもの生きた壁になれ」とようなことを書かれている。子どもが危険なことをしようとしたら、壁となって立ちはだからなくてはいけない。でも壁だから、必要ないときはあまり自分から近づかない。またこの壁は血液の流れる暖かい壁でなくてはいけないとのことである。
 双子ちゃんが4グループくらいで昼食を食べていると、そのうちに走り回り次第に遊びがエスカレートする。私は時々「危ないから走るな・投げるな・蹴飛ばすな」と怒鳴る。子どもは一瞬ビックリする。叱られることでどこまでやってよいかを学習する。叱られることで遊びの範囲が広がるから、子どもは生き生きとしてくる。「大人は子どもの生きた壁になれ」ということは私はとても大切だと思う。

 事例2 わがままな3歳児のこと 
 3歳児くらいになるといろいろなことを学習する。「くそばばあ・しんじまえ・うんこったれ・あほ・鬼ばばあ」などなどよくぞ悪い言葉を覚えてくるものだと思うものである。また自分の思い通りにならないと泣きじゃくる・キックする・叩く・噛み付くなど親があきれて子どもの言うことに従うまでじゃみる(=泣いて喚いて騒ぎまくるの方言)こうしたじゃみる子どもには妥協しないことである。じゃみられた挙句に子どもの言うことを聞くと、子どもはじゃみれば勝てると学習する。ジャスコで買い物に行くときでも最初からじゃみるのに負けると思えば子どもに妥協したらよい。その代わり絶対にじゃみても許さないときは許さないを通さなくてはいけない。小学校1年生と3歳児のことである。小学校1年生もわがままで自分の思い通りにならないとてこでも動かない子どもであった。私は大目に見るときは大目に見るけれどダメなときはダメを強引に押し通していた。3歳児の子どもがセンターにやってきて、「まだ家に帰りたくない」とじゃみた。私は「絶対に帰りなさい」(時間の関係で帰す必要があったので)と言い、手を引っ張って歩き始めた。3歳児は「じじい・あほう・」と言いながらキックをしてきた。それをみた小学校の1年生が弟に向かって「ともくん・この人はお母さんやお父さんと違って暴れてもあなたの負けだからあきらめなさい」とたしなめた。兄に言われて弟は素直に帰宅することになった。
 私は人間も動物の進化をたどっていると思う。わがままな3歳児はサルと一緒である。3歳で自分が一番偉いと思っている。自分よりもお父さんや大人がが力もあり偉いと思わせておかないと、わがまま・自己中心・他人の痛みを感じることのできない子どもになることが多いように思う。わがままが通らないことも教えることが必要である。そしてそれ以外のときはできるだけ自由にさせよう。

 事例3 他人を支配する低学年の女の子
 仲良く遊べというけれど、遊びはある意味ではルールあるケンカである。ルールをめぐるトラブルや一方的な支配・被支配の関係性になることもある。1年生の女の子同士の遊びの中で圧倒的に支配力のある子どもが他の子どもも含め、5〜6人の子どもを支配し、遊びグループを形成することが多い。支配力を持った子どもは弱い子どもをいつも割りの悪い役の当たらせ、言うことを聞かないとシカトしたら、立たせたりしていることがある。女の子どものこうした行動には言葉で叱ったり、もちろん叩いたりしても効果がない。ますます陰湿になるだけである。こうしたときに使いたいのがジャンケン遊びである。ジャンケン遊びを使ってロールプレー的に遊ぶことで、人間関係をよりよくすることが大切である。
       
 王様ジャンケン遊びは私のオススメのロールプレー的手法を取り入れたジャンケンである。まず仮の王様(通常ワーカー)になる。6人でやるとする。王様は王様のイスに座る。それ以外の子どもは4人がイスに座り、一人がこじきになる。こじきになった子どもは左端の子どもとジャンケンをする。勝つと右の子どもへとジャンケンをする。負けたら、勝った子どものイスに座る。次々と勝ち上がり、王様と対決することになる。対決する前に中央の写真のように王様に深々とお辞儀をする。これが大切である。例え相手が子どもが王様でも大人もふかぶかとお辞儀をしなくてはいけない。その後に王様とジャンケンをして勝ったら王様になれる。負けるとまたこじきになり最初の左端の人とジャンケンをして勝ち上がることになる。この遊びで重要ななのは王様に深々とお辞儀をすることである。そして他人に頭を下げることを学ぶ。同時に自分が王様のときは優越感にひたることができる。お辞儀する・お辞儀されるという二つの違った役割を経験することでいろいろな立場を学ぶことができる。ロールプレー(役割分担劇)を通して、支配欲の強い子どもも自分より弱い子どもに頭を下げることの必要性を学ぶ。また支配されてばかりいた子どもも王様になることによって自信を取り戻すことができる。
 1年生女子にこの遊びをやらせたが、最初はなかなか頭を下げることのいやだった子どももだんだんと遊びと理解し、できるようになった。

 事例3 ケンカばかりの2年3年男子
          
 1年生〜3年生の男子は寄ればケンカ。離せばまたくっついてケンカ。ケンカをする子どもがまたくっつく。こんな状況である。私に言わせれば人間というよりはサルに近い。人間も動物の進化の過程をたどるから、小学校1年生〜3年生はサルの段階と考えると理解できるのである。くっついてケンカ。離れると口ゲンカ。またくっつく。こうした子どもの「くっつくな」といってやると、またくっつく。「何でくっつくのか?」と尋ねると「だって好きなんだもん」と答える。仲が良いほどケンカするといった感じの場合が多いから、危なくない限りはやらせておこう。やりすぎて危険な状況になる前にきちんと注意をすることが大切と思う。遊びに「チョキンサの原則を私は使っているが、小学校低学年の子どもには「ちょっとストップ・きちんとアドバイス・さっと再開」という「チョキンサ」の原則を活用することが大切と思う。そして危ないことをした足や手には「この手が悪い」としっかり、叩くなり、強く握るなりして教えることが必要と思う。またこの時期は「さだかでない」時期である。すなわち「さっきのことは忘れた。次のことはわからない。今のことは定かでない」のである。石を投げたり、棒を振り回して危険なことをした場合に「どうしてそんなことをするの。危ないでしょう。この前もあなたはやって叱られたでしょう。今度やったら許さないからね。」などと前のことと次のことなど言っても仕方ないのです。できるのは今この時点でやった悪いことを悪いことをやった手や足に教えることです。そして「手と足は悪い子だったけれど、あなたは良い子です。」といってやればずいぶん子どもも安定します。くれぐれも前のことを持ち出してくどくどと言い、今度やらないようにとまた念を押すような行為はあまり生産的ではないように思います。
 1年生〜3年生の男子は女の子にちょっかいを出すのも好きです。女の子も半分ちょっかいを出されたくて、男の子をかまいます。そして暴力を振るわれたと言いつけにやってきます。「とも子ちゃん。それはあなたが悪い。」と私は言ってあげます。女の子は怪訝そうな顔をします。そこで「だってともちゃんは可愛いもんね。男の子がいじめたくなるわけだ。美しいというのは罪だなあ。」といってあげれば女の子は喜んで帰っていきます。これ以外にも愚痴を聞いてあげるという手法もあります。「そうか。そうか。あとでともちゃんをいじめた男の子をぶっておくからね。」といった感じで終わらせることもあります。「ともちゃん。よく来てくれた。今バックギャモンの相手を探していた。やろう」と違った方向に話題をそらすこともできます。一つの子どもの訴えに多数の返答を用意しておくことが大切と思います。児童厚生員や保育士・教員は演じることができる必要があります。

 事例4 低学年に粗暴な上級生
 5年生・6年生になっても低学年と頭の中身が一緒で、年下の子どもにもむきになってケンカをしかける子どもがいます。一つは同じクラスの中で自分の居場所が発見できないと、そのウサを低学年にはらすこともあるようです。ですから、低学年とうまく遊んでいることもあるのですが、いじめたり、おどしてカードを取り上げたりしていることもあります。こうした場合はたくさんの大人がたくさんその行為を見てあげることが必要です。低学年に粗暴な上級生はなんだかんだと理屈だけはつけます。理屈に対して事実をしっかり見てあげることが大切と思います。最近、私はデジカメ付きの携帯を買いました。粗暴な行為や現金を隠し持ったり、カードやゲームボーイを持ってきてはいけないときに(学校休業日以外に学校経由で持ってくる)持ってきたりすると、すぐにデジカメで記録をします。これは効果があります。
 また最近の上級生は大人は実力行使をしない・できないと思い、お調子にのっている輩がいます。そして自分の不当な暴力行為が罰せられることがないように思っています。誰にも他人を不当に傷つける権利はありません。6年生が1年生や2年生に暴力を振るえば、正当防衛権を非力であるが故に行使できない下級生に代わって、児童厚生員や教員・保育士・幼稚園教諭は実力を行使する必要があるのです。低学年や弱者に暴力を振るうことは許されないだけではなくて、振るう場合は実力行使がありうることなどは当たり前のことです。
 同時に暴力を振るいたいのにも訳があるから、できるだけその訳は受容してあげることが大切と思います。粗暴な上級生が怒られても怒られてもセンターにやってくるのは不思議なことでもあります。



 叱り方・叩き方のこと

 絶対の感情的に叱ってはいけない・叩いてはいけないという人がいますが、そんな人がプッツンすると怖いものがあります。ある限度を超えると感情をコントロールできなくなり、かなりひどいことをしてしまうからです。たまたま、話せば分かる子どもだけを相手にする親がいたとしても、児童厚生員や教員はアグレッシブな子どもも確率論で確実に相手をしなければならないからです。そうならばきつい叱り方・ときには実力行使の仕方を想定しておくことは必要です。仮に子どもで暴力を振るう子どもがいないにしても、池田小学校のような事件もあるのですから。
 子どもを叱るときは感情を込めてときにはビビラセルことも必要です。私は時にロールプレーでやくざをやって見せることがあります。廊下を歩いていて肩がふれあうことで相手の子どもに因縁をつける劇です。
「おい。ちょっと待て。どこを見て歩いているんだ。ざけんじゃないよ。」といって子どもを締め上げます。子どもも負けずに私に
「うっせえなあ。なんだよ。文句あっか。」などとやってみるのですが、私の迫真の演技に子どもは劇なのだけれどびびります。そのあとに
「こんな風にやくざにみんななっちゃいけないよ。」と教えます。また、危険な行為をした場合どのようになるかも教えておくことが必要です。極端に危ないキックをしたときはどうなるかをやはりロールプレーでやります。
「ゆうくんは良い子なのだが、悪い子になって、とりあえず、私の足を思い切って叩いて」と頼みます。思い切って叩く子どもと加減をする子どもがいます。
「この叩いて手はいけない。パチン」と私も演技でたたきます。私はけっこう強くたたきますから、そこで私もお返しのパチンをもらいます。怒ったり、叱ったり、叩いたりすることはロールプレーとしてやっておくと、ずいぶんに自分の心をコントロールできるものです。

日本国憲法

第十一条【基本的人権の享有と性質】
 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第十二条【自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任】
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第二十六条【教育を受ける権利、教育の義務、義務教育の無償】
 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2,すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


教育基本法

第一条(教育の目的)
 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行わなければならない。
第二条(教育の方針)
 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
第三条(教育の機会均等)
 1すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、社会的身分、経済的地位又は門地によって、教育上差別されない。
 2国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。
第四条(義務教育)
1国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う。
2国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料は、これを徴収しない

学校教育法
第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない

刑法

(正当行為)

第三十五条  法令又は正当な業務による行為は、罰しない。
(正当防衛)
第三十六条  急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。
 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
(緊急避難)
第三十七条  自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。

傷害罪(刑法第204条)


人の身体を傷害した者は、十年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する

体罰の禁止と学校教育
 体罰の禁止は日本国憲法に記載されているかのように主張する人がいるけれど、嘘である。体罰の禁止は上記のように日本国憲法の第26条を受け、教育基本法を受け、学校教育法の中の第11条で「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし体罰を加えることはできない」と規定されているのである。それ以上に重要なことは、日本国憲法で規定されている基本的人権が体罰よりも優先する。日本国憲法の基本的人権を守るために刑法が作られているわけでが、刑法では殺人・傷害致死・傷害罪などの罪が決められている。従って他人に危害を加える行為はしてはいけないのである。児童館や学校・保育園で不当な暴力を振るうような行為があれば、それは阻止されなくてはいけない。この場合怪我をさせられる弱いほうの子どもは正当防衛権があっても、実質的にそれを行使できないわけであるから、その代わりに監督する児童厚生員や保育士・教諭は監督する児童に代わって正当防衛権を守ってやる必要があるのは当然である。
 体罰の禁止と騒ぐことによって、不当な暴力を振るう子どもの暴力を振るう権利を保障させてしまっている要素があるのが問題である。観念の世界で考えないで、現実の世界で子どもの実態をunderstandすることが大切である。