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児童クラブにおけるグループワークの展開について

有明児童センター  児童厚生員

児童健全育成指導士 田中 純一

 

 児童館におけるグループワーク的手法を活用した展開についてはキャンプ活動・未就園児とお母さんたちの集いや自主グループの組織化・小学生のニーズに基づくクラブ活動等で実施され始めている。しかしながら児童クラブではクラブの組織化と班編成をもってグループワークと同義だとの考えもあり、小学校と同様な活動をもって、健全育成と勘違いされているような面もみられる。そこで児童クラブにおけるグループワーク的手法の展開についてのこれまでの私の活動を紹介し、グループワークの展開の一助になればと思う。

 グループワークはグループを相手にして活動すればグループワークとなるものではない。児童クラブは概ね1年生〜3年生が対象とされている。そこで1年生〜3年生40人くらいの異年齢集団を5人〜7人くらいの6グループ〜8グループ程度のグループに分け、グループ毎に男女と学年を同じ数を入れる。このグループの中で異年齢交流が図られ、上級生には優しさと思いやりを、下級生にはたくましさを身につけさせ、男女が仲良く遊ぶことで交流が図られると考えられているようだ。しかしながら子どもの目線のさらに下から子どもをunderstandしてみると、これが逆に仇になっていることが多いのである。1年〜3年までを同じグループにすることで支配・被支配の関係が助長されたり、男女混合にすることで遊び時間が減少しトラブル(女の子が男の子にちゃんと座れと指導し、男の子か暴力を振るうなど)が増加していることもある。グループワークの目標とする

 グループワークはソーシャルワークの一つの方法であり、意図的なグループ経験を通じて、個人の社会的に機能する能力を高め、また個人、集団、地域社会の諸問題に、より効果的に対処しうるよう、人々を援助するものである。

(社会福祉援助技術総論P77 ジゼラ・コノプカの定義より引用)

ものが実現できていないことが多い。

 児童クラブにおける土曜日の活動を通して、子どもの実際に学びながらグループワーク的手法の展開を考えてみたい。

 

 児童クラブ(1〜3年生80人)やジュニアクラブ(4年〜6年生50人)の子ども達は土曜日に朝の午前8時頃から児童センターに来館する。午前9時15分〜10時までの学習タイム前には60人くらいの子ども達が来ている。朝早くから待っている子どももいるし、学習タイムが終わってからくる要領の良い子どももいる。学習タイム前の時間帯は自由遊びの時間である。遊戯室で登り綱・サッカー・野球・一輪車・ジャンボマットで遊んだり、マンガ読み・カードゲーム・ゲームボーイで遊んだりしている。外の遊具で遊んだり、かけっこをしたり、ブロックで遊んだりしている。この自由遊びでどのような選択をするかで、子ども達の様子を観察することが大切である。連絡ノートを私は使っていないから、子どもの様子を朝の清掃をしながら観察することができる。グループワークの原則の中に受容の原則と個人差の尊重の原則がある。

@受容の原則

 グループワーカーは、先ず一人ひとりを一個の人格を持った人として尊重することが基本原則である。小さな子どもといえども尊重するという基本的態度を身につければならない。ワーカーの好みや、個人的な好き嫌いもあろうが、グループの中の一人ひとりを理解していくことが受容につながる。

A個人差の尊重の原則

 グループワーカーは、自分と接する子ども一人ひとりが独自の存在であることを頭で判っていても、すべてのメンバーについて、つい平均的な姿を求めがちである。子どもの長所・短所、言葉使いや行動、そして発達段階(エリクソンのいう)に応じての知識だけで子ども理解をするのでなく、発達の差や、性格、考え方にも個人の違いがあることを十分に知り、個性を持つことを忘れてはならない。

(社会福祉援助技術総論P84)

 受容の原則・個人差の尊重の原則を実現するためには、何よりも子どものあるがままの状態をしっかりと観察することが必要である。子ども達の朝の集合タイムを決め、朝の会をやり、出席をとるといったパターンは子どもを理解するためにマイナスの条件となる。自由タイムを設けることにより、子どもの真の姿を知る手がかりができるのである。児童センターが開く8時前よりセンター前に待っている子どももいる。児童クラブ・ジュニアクラブが楽しくてたまらない子どももいる。反面家庭環境に恵まれず、家から無理矢理早く出させられている子どももいる。こうした観察は朝の「おはよう」でわかる。朝から顔色のすぐれない子どももいるし、元気いっぱいの子どももいる。もちろん土曜日には両親や保護者が家にいても、来館する子どももいるし、誰もいないのに家に一人でいたり、近所をうろうろしている子どももいる。朝の状態が子ども理解の第一歩である。

 子ども達が朝の自由遊びの中でどのような自主グループに入り、どのような遊びをするかも子ども理解の大事な点である。

A君は若干の知的障害があり、土曜日と学校の休みの時に児童クラブと一緒の活動をしている。同じくB君は自閉的傾向のある子どもである。二人はセンターで知り合いになったが、とても仲良しである。A君もB君も二人が一緒だと安定をするが片方がいないと寂しくなって保護者の迎えが何時かを尋ねて職員の側を離れない。二人一緒にいるときは外の登り綱が大好きで登り綱をして遊んでいる。

 Cさんは4年生の女の子だが、自由遊びの時は2年生の弟を含めて男の子ばかりと遊んでいる。同じクラスの仲間からはいつも孤立している。変わり者とみられている。

 D君は2年生の男の子だが、自由遊びにおいては上級生の男の子と野球ばかりやっている。同級生の間ではすぐに暴力をふるうので嫌われている。お母さんもけがをさせた相手に謝りにいくのに苦労をしている。

 Eさんは2年生の女の子だが、2年生の女の子の中でボス的な振る舞いが多い。自分中心にみんなが動かないと気に入らなくて、仲間をシカトするようにする。

 F君は朝から晩までカードゲームに熱中している。そのため肥満気味であるし、また他人のカードをごまかすことも多く、下級生の保護者から苦情のくることもある。

 ちょっと問題行動ばかりをあげてみたけれど、自由遊びの中で子ども達は自由なグループを作り、様々な活動をする。この状況をしっかりと理解する=understandすることが子ども理解の大切な点であろうと思う。自由遊びでの子ども理解を通して、受容の原則・個人差の尊重の原則を実践することが大切である。

 自由遊び時間の中で私がunderstandしたことを紹介してみたい。

 群れ遊びを好む小学生は自由遊びの時間帯では同性と遊ぶことが通常である。自由遊びの時間帯に同性と遊べないで異性としか遊べない子どもは問題行動があったり、家庭に問題を持つことが多い。異性としか遊べない結果、同性との関係がうまく作れていないことが多い。

 また通常子ども達はほぼ同じ能力を持った同級生と遊ぶことが多い。いつも下級生としか遊べない子どもは自分に自信がない子どもが多い。逆に上級生としか遊べない子どもは同級生に粗暴な振る舞いが多く、他人をいじめるとのことで学校等から問題とされる子どもも多い。

 ゲーム遊びやマンガ本読みだけの子どもは他人との人間関係を築くことが下手なことが多い。ボール遊びなどが嫌いというわけではなくて、下手なことを馬鹿にされることが嫌でやらないことが多い。また自信のなさの裏返しで虚言癖があることもある。「家に帰ればゲームキューブのすべてのソフトがある」などの虚言から、友達に追いつめられ万引きへと走るようなこともある。

 こうした子ども理解は子どもの自由遊びの中に出てくる。これをunderstandすることが子ども理解の第一歩であろうと私は考えている。

   以下の写真は平成16年1月5日月曜日の子どもたちの自由遊びの様子である。
        
 児童センター入り口          トランプ遊び                カード・ゲームボーイ遊び      マンガ読み

       
 ジグソーパズル             バックギャモン             集中力ゲーム              ビデオ鑑賞

       
 ボール投げ遊び            登り綱遊び                マット遊び                 トランポリン遊び

      
 外の綱遊び             ロープスイング遊び             お山で遊ぼう              みんなでドッジボール

 

 子ども達のunderstandを通して、児童クラブのグループワーク的展開を考えてみたい。第1に40人〜80人の子どもを3人〜7人程度の対面的な関係(face to faceの関係)小グループを作ることである。ただしこの小グループは常に可変的なものであり、一日の間に子ども達が経験するグループは何通りもあることが必要である。朝の自由遊びグループが2〜3人でのカード遊びグループだとすると、学習するときは、学年別男女別の10人程度のグループであり、その後の清掃活動では3〜5人の指定されて作業グループとなる。その後サッカー遊び等での7〜10人のサッカーチームでのグループ・お昼の時は自由な5〜6人のグループ・わいわいステージでは5〜10人のグループ・おやつの時は自由なグループ・清掃の時は学年別のグループとなる。最後のラストタイムプレー(午後5時15分〜5時45分くらいの児童クラブ・ジュニアクラブの遊び時間)には5人〜8人のグループとなる。このように1人の子どもが1日の間にいろいろな小グループを経験することを通して、多様な人間関係を学び成長していくことが大切と私は考えている。小学生時代の子どもの一日はは大人が考えている以上に中身の濃いもので、通常大人の3日分に相当しているように思う。(考えてみると、私たちにとっても小学校の6年間は長かったでしょう。)子ども達は内容の濃い一日を様々な経験を通して成長していくものである。なおこうした変容する小グループにするのはワーカーである児童クラブ担当職員の意図的なものである。ときには自由にグループを作らせ、あるいは学年別・男女別にし、特定の子どもを特定のグループに貼り付けることもある。また、あえて異年齢異世代を一緒の小グループにすることもある。

B援助目的の明確化の原則

 グループワーカーは、子どもをなぜグループに参加させるのか、それはどんな内容のグループなのか、グループはその子どもの成長にどんな意味をもつのかを明らかにすれば、メンバーを容易に受け入れることができよう。

 メンバーの子どもも、それなりの意味がわかればワーカーに対しての信頼や喜びをもつことができる。(前掲P85)

 とあるが児童クラブでの現場としての実際は子どもとワーカーとの信頼関係を前提として、子どもがワーカーの小グループ作りを受け入れることになる。そして小グループでの経験がよりよいものになることによって様々な小グループ作りの提案も受け入れ、自ら与えられた条件の中で仲間作りを自主的に行うことになる。

C自己決定尊重の原則

 グループワーカーは、メンバーの自主的な人間としての成長を促す役目をするものであるから、グループの中で一人ひとりが自分の「責任」を果たすということを自覚させ、自立心を強めさせることが必要となる。

 また他のメンバーに対する尊重の気持ちを自覚させよう。そのため、ワーカーが自分の好きなプログラムを実施しようとしたり、自分の希望でグループを指導することは危険である。あくまでも子どもたちのメンバーが自分で選択し、自分で決定する雰囲気作りをしなければならない。自分たちで決定できることが、自主的なグループを育て、人間を育てていくことになるのであるから。

D成就の経験と喜びの原則

 自分たちの決めたことを達成した喜びは、他人が決めたことの達成より幾倍も大きいことは誰でも経験していよう。グループで協力し合うことは、達成までに多少時間がかかっても、社会的能力を高めていくことになり、その経験を積み重ねることで、個人もグループも成長していく。

Eメンバーの相互作用の効果の原則

 グループワーカーは、メンバー同士の働きによる影響が深まるように援助することが大切である。協力し、互いに自分の足りないところを補ったり、援助したりすることで相互作用が深まり、「わたし」から「わたしたち」感情が深まって自発的活動を促し、まとまりあるグループに発展していく。

F融通性のある運営と活動の原則

 グループワークの過程で、メンバーのニーズや変化に応じて融通性のあるグループであることが望ましい。グループワーカーはプログラム活動についても、メンバーの能力や発達に応じた変更や修正を行っての活動や運営ができるようにする。

(前掲P85〜86 グループワークの原則)

 午前9時15分〜10時までの学習タイムは男女別で部屋を使い、学年別にグループを作るようにしている。学習は基本的に個々のものであるから、個々の子どもが自分なりに学習できるようにするためのグループ作りである。男女を一緒にすると織り姫彦星同様に学習の学習能率が落ちる。男の子は目立ちたくて女の子にいたずらばかりしている。また学年別にしないと、上級生が下級生をかまったりして学習能率があがらない。

男女別に分けることは同時に男の子としか遊べない女の子・女の子としか遊べない男の子が同性とどうしても一緒に活動しなければならない状況を生む。同性との対応は通常群れ遊びを好む小学生時代の子どもはもっとも得意とするところである。しかし同性とうまく遊べない子どもにとっては同性とだけいることはなかなか難しい面もある。男女別学年別のグループの中で子ども達に同性ともうまく遊べる手法を身につけさせることも必要であると思う。男女別にするのは私の意図的なグループ編成である。群れ遊びを好む時代には、男の子は男のアイデンティティーを確立する時代で、女の子も女のアイデンティティーを確立する時期である。無理矢理に一緒にするよりは離す方が良いときもある。

 男の子は本能的に棒があったら振り回し、石があったら投げ、ボールが転がってきたら蹴り、穴があったらほじくる。これはほとんど無意識によるものである。鉛筆で他人を突っつくのはたいてい男の子である。危険な男の子と女の子を自主学習時間に一緒にする必要性が私はないと考えている。児童クラブの現状は50人以上の子どもを年収一人250万円くらいの二人か三人の職員で支えている。現場にとって必要なのは空論ではなくて現実的な手法である。規制が必要なときは男女を別々のグループを作ろう。「男女別々で学年別のグループを作ります、人数と机はどこでも良いですが、仲間はずれは許しません」と提案してあげれば、子ども達は自らの選択で自分たちのグループを作ります。グループワークにおけるグループ作りの段階でメンバー自らの選択肢をうまく用意しておくことが必要です。その意味で「」というのがとても大切となります。

 10時〜10時半までの草取り等の作業タイムはその時々の状況に応じた「とつぜん」グループ作りである。雨の時のあるし、晴れの時もある。年間計画の中では予定はあるけれど決定はできない。雨降りに子どもを草取りや落ち葉拾いに出すわけにはいかない。でも多少雨が降っていて子どもが外に出れないけれど、草払い機で草を払うことが必要な状況なら私は子どもを同僚に託して草払い機の機械を始動させる。よく頭の良い人は「あなたは計画的な仕事をしない。」と私を批判する。私はいってやる。「これからは計画的にやります。その代わりあなたも天候を計画的にコントロールしてください」と。計画経済など破綻したのに、計画だけは日本で生き残ってしまっている。余談になるのですが、私は自治会の副会長をしています。新潟市は雪が降ると除雪費がかかります。自治会の収入は100万円ほどなのですが、雪が多いときは20万円以上の除雪費がかかります。20万円のうち半額ほどは新潟市からの助成費が入ります。雪が降るかどうかは年度当初では予測できません。雪が多く降れば除雪費がかさみ、備品を買うことができません。そこで私の所属する自治会では除雪費の支払いと除雪費の助成収入を翌年度に回すことにしました。除雪費の支払いは4月以後でも業者は可能と言ってくれますし、新潟市の助成金は4月30日頃にしか入らないのでその方が便利なのです。結果として予算は前年度の雪の降り具合で備品費が変わることになります。雪が前年度に多く降れば備品費は少なくなり、降らなければ多くなります。とつぜんの変化などは常にあるもので当然グループ分けもとつぜんとなることもあり、それに対応できる子どもであることが必要であることはいうまでもないことなのです。

 

 学習タイムが終わってからはサッカーをしたりしていますが、児童クラブ・ジュニアクラブと児童館の一般来館児童を交えてやっています。人数は20人〜30人です。サッカー等をしない子どもは自由に遊んでいます。サッカーは自由参加ですから、その代わりグループは私が決めています。子どもはサッカーをするということを自分で選択したわけですから、グループ(チーム編成)は私の権利です。私の権利といっても私の個人的な好みでグループを決めるというわけではありません。グループの力がほぼ同等になるようにグループ編成をするということです。サッカー等のゲーム遊びで私が試みていることは試合中にボールを1ヶではなくて、2ヶ・3ヶ入れることです。ボールが1ヶだとうまい人ばかりがボールをコントロールしてしまうことになります。小学校の低学年のサッカーはみんなが数多くボールにふれる機会を多くすることが必要です。試合の最中にボールの数を増やすことは大切です。このときボールがグループワークを始めたりしてね。ボールの数を増やすとか、試合の人数やグループの編成はワーカーの権限と私は思っています。そのかわりその範囲内の中でどのように戦うかは子どもとグループごとのアイディアです。子どもの権限とワーカーの権限を分けてうまくやらないと子どもだけでは自己中心で危険な遊びとなることも多いものです。

 

 お昼の昼食タイムは自由なグループ作りをしています。ただし他の子どもが「寄せて」といってきたら「NO」とはいえないことが原則です。グループ編成は誰と組

んでも良いけれど、グループが排他的になることは絶対に許してはいけないと考えています。自由にグループを作る権利はあるけれど、他の人はのけ者にする権利はグループにないことは常に子ども達に伝えておきます。他を排する力のある人は児童クラブやジュニアクラブから辞めてもらうことが原則です。

 お昼を食べるときには、子どもを理解する絶好のチャンスである。11時55分頃に後かたづけを始め、12時頃から100人くらいの子ども達が体育遊戯室で一緒に食事をします。食べ始めるのは各自で食べ始めます。私がちょっと整理整頓が遅くなって12時10分頃に図書室へいくともうマンガを読み始めている子どもがいます。

「おい、お昼だぞ。早く行って食べなさい。

「もう食べあげた。」

 男の子どもの食事はたんに栄養補給でものの5分か10分でご馳走さまをしてしまう子どもがいる。と思うと女の子はおしゃべりが忙しく、30分でも40分でもしゃべっている。1年生で食の細い男のは弁当をほじくってこぼし、ほじくってはこぼすので彼の周りは米粒だらけである。

 ご飯を食べながら子どもの様子を見ているとそれ以外にもいろいろなことを理解することができる。まず炊きたてのご飯を荒ざまししないで、弁当を詰めるお母さんが多いことである。そのため弁当が真空状態になり、スプーン等でこじ開けてあげないとあけられないことが多い。100人の子どもが弁当を持ってくると2人くらいの子どもの箸が入っていない確率がある。割り箸を用意することは必要である。

 弁当を残すと親に叱られるので、残ったおかずをゴミ箱に捨てていく子どもがいる。親は全部食べきっていると思っている。

 ご飯を食べるときにいつも一人で食べている子どもがいる。職員が一緒になってみんなの仲間入りができるように働きかける。

 グループのは自由にさせているので、学年別・男女別のことが多い。けれど上級生の女の子どもの中では5人〜6人のグループを作り、他の仲間を入れさせない雰囲気を作っているグループができてくる。上級生の女の子ども特有の排他的な人間関係の構築である。またサッカー・野球。ミニバスケット・合唱部などの部活動のグループごとでの食事が行われることが多い。

 昼食の時はこのような子ども同士の人間関係やグループの様子をしっかりと観察することが大切である。

 

 午後2時頃からはわいわいステージなどのグループでの表現遊び等を行っている。わいわいステージは表現遊びである。1年から6年生の子どもを3人から10人くらいのグループに分けて25分ほど表現遊びの練習をする。表現遊びの内容は歌・寸劇・詩の朗読・隠し芸・ペープサート・紙芝居・手遊び・マジックなど自由である。わいわいステージでのグループ作りは不思議と学年の違った子どもが一緒のグループを作ることが多い。1年生と4年生までの男女が8人ほど一緒になって、寸劇「マクドナルド殺人事件」や1年生と2年生の女子による紙芝居・上級生の女の子と下級生の女の子が一緒に詩の朗読をしたりする。25分ほどの練習の後、発表会をする。1年生の女子の紙芝居などで長い紙芝居をへたくそなのに長々やるときもある。そういうときは途中でカットになる。わいわいステージは練習そのものが遊びであるから、途中でカットされても我慢ができる。一番の人気はいつも殺人事件ものである。わいわいステージでは自己表現できる力と仲間と力を合わせて一つのことを成し遂げる楽しさをねらっているが、そのときにうまくいかなくても「明日があるさ」と思えるように働きかけている。わいわいステージの目標の一つはわいわいステージを通し、日常遊びの中でごっこ遊びが充実することである。

 

 おやつは各自で行っている。3時半頃から4時くらいまでの間である。男の子は1分で食べないで3分くらいはしっかり食べてごちそうさまをすることを声かけしている。女の子どもには20分かけないで15分でごちそうさまをするように声かけをしている。おやつも子ども喫茶というような形でごっこ遊びにして、ウェートレス・ウェーターごっこにすることもある。

 

 夕方までが自由遊びで、午後5時に清掃。後かたづけとなる。後かたづけのあと、ボール遊びやユニット折り紙・ジャンケン遊びなどを行っている。これをラストタイムプレーといっている。ラストタイムプレーでは私が意図的なグループを形成している。ラストタイムプレーの目的は、子ども達の日常遊びにおける遊びの種類を増やすことと、遊びのルールを伝えることにある。そこでのグループ編成は私の意図的なものである。参加したくない子どももいるが、この時間帯は指示に従ってもらう。児童クラブ・ジュニアクラブでの活動は土曜日で10時間くらいになる。10時間のうち8時間は概ね自由なので、学習タイム・作業・ラストタイムプレーくらいは指示に従うことも必要と私は考えている。

 ラストタイムプレーで集団ジャンケン陣取りゲームを行うとする。男女対抗で男子ファイブパワー(1グループ5人)で5グループを作る。女子も同じようにすると、25人対25人(=5グループ対5グループ)のジャンケンゲームとなる。グループみんなで走って陣地を稼ぐけれど、ジャンケンをするのは一人である。子ども達は子ども達なりに工夫をして、足の速い子どもが前を走り、足が遅いけれどジャンケンの強い子どもにジャンケンをさせるなどの工夫をする。もちろんジャンケン遊びの過程の中、自己中心で自分が先頭を走り、自分でジャンケンをし、他の子どもに参加させない子どももいる。また自分のグループがジャンケンを負けると、グループの子どもを非難する子どももいる。相手チームにプッツンして暴力をふるったり、「あほ、馬鹿、死んじまえ」などの暴言をはく子どもも多い。ワーカーである職員はきちんと叱る力量が必要である。笑顔よりも子どもの暴力やひどい言葉づかいに負けないタフネスが必要である。グループワークのワーカーは受容の心と許容力が必要のように言われるけれど、子どもに負けないタフネスのほうがもっと必要である。少子化の中で切れやすい子どもが多くなっている。グループワークのプロセスは子どもとの格闘(=プロレス)みたいなものである。

 怒ったり、叱ったり、たまにはほめたりして、ジャンケン遊びを継続していくと子ども達はジャンケン遊びの中にわたし感情から私たちの感情が芽生えてくる。そして一人で遊ぶよりはみんなと遊ぶ方が楽しいことが身をもって体験される。こうした体験が日常遊びにおいて、子ども同士のより質の高い自主的な遊び集団の形成につながる。こうして形成された遊び集団は、自然発生的な遊び集団より、排他性がなく。異年齢・異世代を巻き込む許容力を持っている。

 児童クラブ・ジュニアクラブにおけるグループワーク的手法を活用した遊び集団の形成の目的は、実は日常遊びにおける排他性のない誰でも仲間に入れて遊ぶことができるようにすることとも考えられる。日常的な自主遊び集団のよりよい変容は、問題行動を抱えた子どものケースワークにも大切である。不登校等の児童が来館した場合、私は「誰かこの子どもと一緒に遊んであげて」というが、「嫌だ」というグループはいない。仲間に入れたくないなら黙っていることが原則である。一回の呼びかけで「一緒に遊ぼう」といってくれるグループがあることもあるし、2〜3回かかることもある。でも2〜3回の内に「おいでよ」といってくれる自主的遊び集団が形成されている。
 年間の中でのグループの活動については平成16年度児童クラブ・ジュニアクラブの活動予定を参照したいただきたい。
  ■平成16年度児童・ジュニアクラブ年間予定表

 

 児童クラブ等におけるグループワークの中で私が心がけていること。

 第1に排他性をなくすことである。そのためにはツーパワー・スリーパワーの手法を活用して、グループの人数の変動がゲームの勝ち負けにできるだけ影響のないようにしている。集団ジャンケン陣取りにおいても、人数が5人から6人になっても2人になってもゲームとしては問題がないのである。この手法を使えば途中からでもゲームの仲間に受け入れることができて排他性がなくなる。また、名前を必要としない遊びを増やすことで排他性を少なくしている。だるまさんが転んだ等の遊びで、「黄色の服を着ている子」でOKである。名前がいらないから排他性も減る。

 第2にワーカーは子ども同士のふれあいで子どもが伸びることを自覚し、リーダーではなく、サポーターに徹するようにと考えている。危険なことや他人を傷つけるような言動は絶対に許さないけれど、それ以外はできるだけ子ども自身の発想で動くように働きかけることが大切ということである。ジャンケンゲームなどでも最初は乗り気でなかった子どもが一番中心になって騒ぎ始め、「終わり」といってもなかなか終わらないくらいの雰囲気を作ることが必要である。またサポーターであるワーカーは、ゲームの中における小グループ内の子どもの動きを常にグループとしてとらえ、よりよいグループの関係性を子ども達が築けるように働きかけることが必要である。子どもの良い行動も悪い行動もグループ内の人間関係にあることをしっかりと把握することが必要である。

 第3にワーカーは、遊びの内容を常にユニバーサルデザイン的に変容すること考えておくことが必要である。異年齢・異世代が一緒に遊べてなおかつ楽しいものを開発する必要がある。通常の遊びを、年齢差によるレディネス(=準備性)の違いを乗り越えるような遊びへと変容させることが大切である。奴さんユニットなどは異年齢・異世代のレディネスの違いを乗り越えて遊べるものだが、そうしたものをもっと増やす必要性がある。

第4に私が男女別や学年別の小グループを作るのは、実はグループ同士の相互作用が子ども達を発展させると考えているからである。子ども達はそれぞれの違った小グループをゲームや遊び等のグループワーク的活動の中でみることになる。その中で上級生はすごいなとか、下級生はかわいいなあ等の感情が芽生えてくるのである。その結果、異年齢の子ども達が自主遊びの中でも一緒に楽しく遊ぶことができるようになる。

男女別や年齢別の小グループの編成が異年齢・異世代交流には必要だという一見矛盾した現場の有り様を、私は子どもからunderstandしたのである。

 最後に小関康之著「児童グループワーク(ミネルヴァ書房1700円)の中から排他性に関する記述を照会したい。
 一般にグループワークは自然発生的集団や、団体や施設が意図的に作った人為的集団を対象とするが、グループワークが、それぞれの団体や施設あるいはサークル活動において努力しなければならないことは、対象となる集団が、人為的集団であれ自然発生的集団であれ、グループ活動の過程にあって、小集団=人格的協同集団的性格をもった集団へと変容することである。
 たとえば、自然発生的集団である近隣の子どもたちのあそび集団に対して、グループワーク的アプローチを試みても、子どもの自然発生的集団=あそび集団のもつ排他的性格を、人格的協同集団としての性格に変えながら、より多くの子どもがグループワークの対象になるように、試みがなされなければ、グループワークは、自然発生的集団の内的凝集性を高めるだけの効果しかなくなり、結果的には、排他性を高めること以外になんら効果をもたないことになる。すなわちグループワークは、自然発生的集団をもその対象として扱うが、それは、あくまでも自然発生的集団を、小集団づくりの核として活用することであり、自然発生的集団を民主的、人格的な開かれた小集団として変容発展させていく過程を整える援助をすることに、大きな役割を見いだすべきである。