大規模グループワークの展開について
有明児童センター 児童健全育成指導士 田中 純一
1、 はじめに
児童館・児童クラブにおいては様々な活動を通して児童の健全育成をすることが求められている。児童館・児童クラブの健全育成活動の内容を社会福祉援助技術総論の観点から見てみると、ケースワーク(個別援助活動)・グループワーク(集団援助活動)・コミュニティワーク(地域福祉活動)・ソーシャルアクション(社会指針)と考えることができるであろう。私は自分自身の有明児童センターや平島公園クラブにおける実践の過程の中で、いくつかのことを学ぶことができた。
一つは児童館児童クラブにおける児童健全育成活動の手法として遊びも大切であるが、作業療法もとても有用であることを実践的に学んだことだ。次にケースワークはケースワークだけで留まらないで、常に3人〜5人程度のスモールグループ(小集団)の活動に展開していくことである。遊べない子どもと一緒に長方形の紙を正方形に切断する作業などを行うことで、子どもの自尊心を高めるとともに、その周りの子どもを仲間に入れていって、スモールグループを作ることである。このことで、ケースワークを子どもと大人の関係から子ども同士の関係性へと広義のグループワーク的手法を使うことによってより効果的なものへと展開していくことである。しかしながら、この場合のグループワーク的手法の活用とはケースワークにおける展開であり、3人〜5人のスモールグループを相手にしていることは、狭義のグループワークそのものではないとも考えることが必要である。狭義のグループワークにおいてはスモールグループがいくつか存在して、そのスモールグループがグループ同士でお互いに刺激しあって高めあっていくことが必要である。グループワークの展開過程は、小グループが多数存在して、そのグループ同士の関係性が存在していることが必要となる。
さてここで、グループワークを実施するために、地域のいろいろな社会的・人的援助を上手く活用することが必要となる。この意味でグループワークはコミュニティワークとの関連性を持っている。同時にグループワークにおける社会的人的資源の活用をすることが、狭義のコミュニティワークそのものではないであろう。ちょうど、ケースワークにおいて、広義のグループワーク的な手法を活用するように、グループワークにおいても広義のコミュニティワーク的な手法を活用することになるのと一緒である。
本来的なコミュニティワークは、グループワークにおけるコミュニティワーク的手法の活用にとどまるものだけではない。コミュニティへの直接的なアクションも含むものである。例えば、地域全体に犯罪等が増加している状況の中で犯罪を軽減するために、防犯パトロールの強化、子ども安全見守りの強化、公園の木の剪定をして不審者の隠れる場所を減らす、ゴミ拾いをする、町に花を植える、新聞配達等の人たちに老人等の弱者への見守りをしてもらう、警察の巡回強化、自治会等の再組織化等の総合的な活動がコミュニティワークの本格的な展開というものではないかと私は考えている。しかしながら、身近なグループワークの延長線上になるコミュニティワークの手法を活用することも広義のコミュニティワークであることは間違いないことでもある。
2、グループワークとコミュニティワークの中間にある・・大規模グループワークについて・・
有明児童センターでの実践や平島公園での実践を通して、私自身がどうもグループワークとコミュニティワークの間に飛躍があるのではないかと感じていた。ケースワーク・グループワーク・コミュニティワークを私の所属する社会福祉法人新潟市社会事業協会の方針で言えば、「隣保相愛・相互扶助・地域とともに」とのことになる。あえてアナロジーさせて考えてみれば、隣保相愛がケースワークで、相互扶助がグループワーク、地域とともにがコミュニティワークとなる。そしてケースワーク・グループワーク・コミュニティワークの和訳が個別援助活動・集団援助活動・地域援助活動というように、援助との上目線の言葉よりも、隣保相愛・相互扶助・地域とともにとの同じ目線の方針の方が日本人には適切ではないかと感じていた。しかしながら、「隣保相愛・相互扶助」と『地域とともに』の間はとても広いような感じ方をしていた。これは「ケースワーク・グループワーク」と「コミュニティワーク」の間の飛躍と一緒である。結果的に自分の職場とその関係者については一生懸命やるけれど「地域」「コミュニティ」までは出来ないとの流れになってしまっているのではなかろうか。そこで私は、「ケースワーク・グループワーク」と「コミュニティワーク」の間にあるものとして、身近な環境整備を提案してきた。その過程の中で、それを実践する過程はたんなるグループワークではなくて、大規模グループワークといわれるようなものではないかと感じてきた。これを当協会の理念風に言えば、「隣保相愛・相互扶助・仲間とともに・地域とともに」とでも表現できることではないかと思うのである。つまり、一般的なグループワーク以上の多人数を相手にして、長期間の取り組みを考えての実践課程が大規模グループワークと規定できるのではないかと思うのだ。
人数的な感じから言えば、一般的なグループワークは30人前後を相手にすることになる。つまり、学校や保育園や幼稚園で言えば、1クラス単位である。これに対して大規模グループワークでは人数が100人〜200人くらいの人数を対象とすることになる。(注1)
期間的な問題で考えれば、一般的なグループワークは、2時間とか泊り込みの活動で2泊3日などとの期間になることがあるだろう。学校の班編成で1学期間同じグループであることもあるだろう。このように考えれば一般的なグループワークは1日間から長くても3〜4ヶ月間と考えることが出来るであろう。これに対して大規模グループワークは、数ヶ月間から時に数年以上の単位を考えることとなる。
対象の把握という点で考えてみると、グループワークはワーカーが基本的には一人一人の対象を把握できる範囲の数である。これに対して、大規模グループワークでは一人のワーカーでは把握することが出来ない数の人員となる。従って、活動においては、多数のワーカーが必要となる。35年前に私は県立新潟養護学校に勤務していた。普通は3人〜5人くらいの子ども達に対して、理科や算数や国語を教えていた。しかしながら、音楽や体育は合同音楽・合同体育と言って、50人ほどの子ども達を5人ほどの教員がグループで教えていた。これも考えてみると大規模グループワークではなかったかと思われる。
対象のレディネスやモチベーションの違いもある。グループワークにおける対象の任数が30人くらいと考えると、30人程度の数は一人のワーカーの力で大きなそれぞれの参加者に大きな影響を与えることが出来る人数である。また、対象の年齢層もある程度均一である。このことでレディネス(=準備性)とモチベーション(=動機付け)が一緒なので、活動は比較的容易である。しかしながら、100人以上の大規模な集団を相手にする場合であると、いろいろな考えや行動パターンをすることになる。例えばADHD(注2)の児童は5%から7%の確率でいると言われている。30人程度であるならば、その存在は1人か2人であるから、なんとか指導が出来る数である。ところが、100人となると5人から7人存在することになる。するとADHD傾向の子ども達だけで一つの大きな勢力を作ることになる。この結果、100人以上の対象を指導することはとても難しいことになる。つまり大規模グループワークにおいては、様々なレディネスとモチベーションをもった多様な存在があるので、この違いを自覚しておくことが必要となる。
注1 コミュニティを1小学校区と考えれば、コミュニティワークの対象は住民5000人くらいとなるであろうし、中学校区と考えれば住民1万人くらいとなるであろう。日本は総人口1億人であり、全国におおよそ1万の中学校があり、2万の小学校があるからである。(2008年で小学校数が22,000校、中学校が10,814校である。)
注2 Attention Deficit / Hyperactivity Disorder=注意過敏多動性症候群=みんなと一緒に行動することが困難な子ども
ADは一般的に注意欠陥と訳されているが、私の実践的な経験から言えば、欠陥ではなくて、超過もしくは過敏である。英語Aはアテンションであり、注意であるが、Dはデフェクトで欠陥ではなくて超過の意味である。
3、ケースワーク・グループワーク・大規模グループワーク・コミュニティワークの展開例について
有明児童センターでの事例
ケースワーク
不登校の子どもAちゃんが来館した場合で考えてみよう。有明児童センターでは小学校等で適応できないで不登校になった場合に、主に作業療法を行っている。不登校児童は概ね10時ころに来館し、午後2時ころには帰っていくが、学習や遊びは自宅でやるのが良いとの考え方をしています。職員の大切な仕事に遊び場環境作り(草取り・ゴミ拾い・清掃・木の剪定などなど)、工作などの準備、地域子育て支援センター事業などの実施がある。不登校の小学生にはこのような作業をお手伝いさせることになっている。これが作業を使ったケースワークである。作業を通して、環境をきれいにすれば、その子どもに対する評価が高まる。「たくさん草がとれたね。頑張ったね」との声かけに子どもは自尊心を高めていく。
たまたま、そこに附属小学校の子どもが学校の新入生の入学試験のために、早帰りで4人ほど来館したとする。「ありがとう。早く帰って来てくれて。Aちゃんと草取りをしていたのだけれど、一緒に手伝ってくれる」といった感じで、Aちゃんへのケースワークを5人程度の小グループワークへと展開させる。こんな感じでケースワークを実践することになります。
グループワーク
有明児童センターでは、午後5時半ころから6時までラストタイムプレーを行っています。30人〜50人程度の2組の男女に分かれて、活動しています。こんな時にチラシを丸めて棒を作るなどの作業をすることがあります。例えば30人の女の子を5グループくらいに分けて、上級生が下級生の面倒を見ながら、みんなで棒を丸めて端を鋏などで裁断する活動をします。こうして出来たチラシ棒はチラシ輪ゴム鉄砲などの工作に使います。
この場合はワーカーが一人で指導することになります。子ども達は子ども達同士の教えあい、グループ同士の切磋琢磨を通して、楽しくおしゃべりをしながら作業をすることになります。もちろん自己中心的な行動をする子どもも出てきますが、上手く個別指導をしながら、その子どものレディネスにあった活動をさせれば、安定して集団の中で存在することが出来るものです。(注3)
注3 子どもの状況に応じた活動を提供すればよいとのことです。丸めるのが無理であれば、切断されたチラシ棒の端の紙を集める作業もあります。作業の場合ですと、全てが必要となるので、遊びよりも能力が劣る子どもでも自尊心を高めることができます。
大規模グループワーク
毎月第1土曜日には、子ども達・保護者・ボランティア・職員で環境整備をしています。この時は自由来館者も含めて、全員の作業となります。人数的にも100人以上の参加となります。(注4)
これが大規模グループワークではないかと私は思っています。7人の職員が全員出勤となり、作業前に基本的な確認をします。その確認をもとに、木の剪定をする部隊、落ち葉を集める部隊、松ぼっくりやゴミを集める部隊、草払い機や芝刈り機をかける大人、外のガラスに水をかけて洗う部隊、室内のガラス拭きをする部隊、床を空ぶきする部隊などに分かれて活動します。当然、100人以上の参加者ですから、いろいろな大人、子どもがいます。松ぼっくりを拾わないで他の子どもにぶつけて遊びだす子ども、遊びに来たのになんでこんなことをやらされるのかとぼやく子ども、職員の厳しい叱咤激励を快く思わない保護者、自分だけが注目を浴びたいと持てもしないゴミ袋を引きずって袋に穴をあけるこどもなどなどいろいろな子どもや大人がいます。これらを上手くリードしていくことは一般的なグループワークとは違ったものになるように私は思います。強いリーダーシップや信念、活動を保証する仲間意識や共通概念、作業等をするための用具等の質と量、事前準備、活動終了後の後片付け作業、一定の子ども達の環境整備に対する日ごろからの意識化などが必要となります。
注4 事務室には職員がいなくなるわけですが、子機を持って歩くとか、留守電話にするとか、時には子ども達を電話番にするとかの手法で対処することになります。
事務室でも子どもが遊べるようにするのが良いとの考えの児童館もあるようですが、私は反対しています。事務室は事務をするところですから、遊ぶ場所ではありません。けれど子どもも電話番等の事務をするなら、事務室にいることは必要なこととなるでしょう。小学校3年女子であれば、きちんとした電話の受け答えができます。「有明児童センターです。どなたに御用でしょうか?」「センター長は外で作業をしています。お急ぎでしたら、090−2754−9636の携帯におかけください。お急ぎでなければ、後でこちらから電話をしますので、お電話番号とお名前をお聞かせください」位のことは下手な大人よりもきちんと対応できることが多いものです。そして作業を終えて私が帰ってくるとメモを見ながら「川崎の斉藤さんから電話でした。携帯に電話をくださいとのことでした」位のことは伝えてくれます。
コミュニティワークへの発展
有明児童センターでの環境整備の活動は、グループワーク、大規模グループワークの段階を経て、コミュニティワークの段階も迎えているように思います。一つは有明児童センターでの環境整備が広がって、隣の有明保育園、有明荘、有明福祉会館、信楽園病院附属有明診療所などへも広まっていることです。また地域の方々が、マツバギクやアカツメクサなどを自宅に植えたいので、分けてもらえないかなどの声が出て来ているからです。有明児童センター近くの荒れ放題であった松林を
平島公園の事例
ケースワーク
平島公園での活動はそもそも私自身の個人的な思いと元新潟県児童家庭課長湯本さんとの出会いから始まったように思い出している。20年前くらいに新潟県母親クラブ連絡協議会の設立総会が新発田市の五十公野公園近くのますがた荘で行われた。当時の児童家庭課長の湯本さんが来賓として出席していた。私は事務局として出ていたのですが、会合が終了し、湯本さんに帰りを一緒に私の自家用車で帰らないかと声をかけました。話をしていたら、お互いに平島公園を挟んで家があることがわかりました。当時の平島公園は草茫々で「汚い、臭い、ゴミだらけ」であった。湯本さんから、私の方の自治会が担当の公園だったので、「健全育成などと言っていても、自分の家の前が汚い公園ではね。」との話があり、私も同感していた。5年程が経ち、平島自治会が700世帯ほどの大所帯となり、4つの自治会となることとなった。この時に私は平島一丁目自治会副会長と平島児童遊園(注5)の児童厚生員となった。この地位を活用して、本格的に平島公園の緑化活動に挑むことになった。
当初は、湯本さんと石田さんなど自治会の仲間数人であったために、いくら草刈りをしても草丈は低くならなかった。芝刈り機をかけるときも一回高い位置で草を刈り、その後にもう一回芝刈り機を低い位置にして2度刈りをする必要性があった。当時、私は職場で不登校の子どもを2名指導していた。そこで、私の公休日である水曜日にはこの二人を連れて歩いていた。私は二人の子どもに水曜日に平島公園の草刈りを手伝ってもらっていた。それ以外にも山菜採りの連れをしてもらったりもしていた。私自身は教員をしていたので、学習をすることは大切とは思うが、不登校の子どもに学習ばかりさせているよりは作業の方が大切ではないかと本能的な直感みたいなものが当時からあったように思う。
グループワーク
その後、地域の仲間と平島公園をきれいにする会を結成して、年に6回程度、集団で草取り活動を実施することになった。その活動が認められ、11年前には地域組織活動としての補助金が年間18,9000円新潟市こども未来課より受けることができるようになった。これに伴い、月に1回の除草活動を実施することになった。当時の参加者数は概ね10人前後であった。ですからいわゆるグループワークの人数の範囲であり、「やりたい人がやりたいようにやる」「上手い具合に助け合って作業をする」「自分の得意を生かして作業をする」「人を指図しない」などのことがお互いの共通認識として行われていた。
大規模グループワーク
平島公園クラブの活動は紆余曲折があったけれど、次第に拡大していった。平島一丁目自治会より平島一丁目なかよし会に対する補助を年間8万円から12万円に増額することにして、同時に平島公園緑化活動に平島一丁目なかよし会も参加するように働きかけた。また、7年ほど前より、月に1回の活動を月に2回に増やして、緑化活動のさらなるに力を入れることになった。平成22年度よりは朝の清掃後に朝食会も実施することになった。春の朝食会には80名、秋の朝食会には70名、11月の打ち上げ朝食会は40名の参加となった。このような段階になってくると、ある程度事前の仕事の分担や当日の手配、後片付けなども必要となってきた。また夏には夏祭りを2000人ほどで実施していて、この人数は一般的なグループワークでの人数ではなくなってきている。
コミュニティワークへ
平島公園をきれいにして花と緑の平島一丁目を実現するという活動は、グループワークから大規模グループワークを経て、コミュニティワークへと発展しつつある。平島公園だけではなくて、平島一丁目周辺のゴミ拾いをする、街路樹の下の草を刈り、代わりにクローバーを植えてきれいにしておくなどの活動が行われ始めている。これをさらに伸ばして、各家々の前にプランタを置いて、花と緑の環境を作る。ゴミのポイ捨てや犬の糞を取り締まる等の活動を自治会全体の共通認識と共通課題としていくことが大切ではないかと考えている。
注5 児童遊園とは児童福祉法で定められた屋外型児童厚生施設であり、児童厚生員の配置が義務付けられている。
4、大型グループワークにおける展開過程の留意事項
私自身の実践課程の中で、狭義のグループワークからすぐに狭義のコミュニティワークへとストレートにいくのではないと感じている。なぜ狭義とつけたかというと、ケースワークの中にもグループワーク的手法があり、グループワークの中にもコミュニティワーク的な手法もあり、手法という意味ではそれぞれ広義のグループワークや広義のコミュニティワークではある点については間違いないからである。しかしながら、問題点を明らかにするためにあえて狭義のグループワークと狭義のコミュニティワークの概念を捉えると、その間にもう一つ概念規定をする必要性があると感じたのである。つまりコミュニティ全体をまだ対象としていないが、小さなグループワークとは違う単位、例えば、一つの小学校とか一つの児童館とか大人であれば一つの公民館の運営とかいったことは、グループワークよりも違った概念と手法が必要なのではないかと思われるからである。
仲間とともに
私の所属する社会福祉法人新潟市社会事業協会の理念が、「隣保相愛・相互扶助・地域とともに」であるが、相互扶助と地域とともにの間に「仲間とともに」の概念を入れたものが必要であると思うのである。
一般的にグループワークにおいては、一人のワーカーによる強い影響力が、グループに大きな影響を与える。逆に一人のワーカーの影響力の与えられる範囲の活動が狭義の意味でのグループワークとも言えるのではないかと私は思っています。これに対して大型グループワークは一人のワーカーの力のみではなかなか運営が困難です。そこで、大型グループワークにおいては、3人〜5人以上のワーカーの仲間が必要となります。この時にこのワーカーの仲間の間で共通理解・共通認識が必要となります。集団で即興劇をやる場合に微妙な阿吽の呼吸が必要となるような共通理解・共通認識であると私は思っています。
共通理解の一つとしては集団力学があることを理解することです。つまりたしかに一人ひとりの子どもを個別に見ればよい子です。しかしながら、集団となると極端に無茶な行動をやることがあることを最低限理解することが必要です。赤信号みんなで渡れば怖くない的な発想で危険なことをやることがあることがあるのが子どもであると考えておくことが必要です。そうならないようにきちんとして抑止力を保持しておくことが大規模グループワークにおいては必要となると思います。
また、大人の場合も一緒で、大人の中には様々な嫉妬や僻みが生じてくるものです。ですから、適材適所で人材を配置するとともに、一つの仕事に複数の人間を配当するとか、ボランティア活動なのだから、複数の会長職を用意することなどが必要と思います。
大規模グループワークの大きさを考える
狭義のコミュニティワークを仮に小学校区の5000人程度の住民を対象とすると考えるならば、大規模グループワークの対象は一つの小学校の子どもの数と考えてみよう。全国には2010年の文部科学省の統計によれば、小学校が22,000校があり、小学生の総数は6,993,433人である。ということは平均1ヶ校当りの小学生の数は概ね300人となる。小学校教員総数が263,731人であるあるから、小学校1ケ校当たり12人〜13人の教員がいて、それ以外の学校関係職員が78,000人いるので、一つの小学校には全国平均値で300人の子どもと20人程度の教職員がいると考えることができるであろう。この小学校をどのように運営するかを考えるのが、大規模グループワークの活動ではないかと私は思うのである。
平島一丁目自治会で考えてみる。平島一丁目自治会は400世帯くらいあり、その住民総数は1000人以上であるだろう。1000人以上を相手にするのは、コミュニティワークであろう。しかしながら、平島公園の花緑化を実現すると考えるならば、その対象は平島一丁目自治会・平島一丁目なかよし会・そして近所の仲間達である。このように考えれば、その対象は概ね100人〜200人である。一般的なグループワークには多すぎて、コミュニティワークまではいかないのではなかろうか。そこで大型グループワークの概念を作ることによって、地域の更なる発展を考えてみたいと思うのである。
人数が変われば異質になる
私は平島公園で10人〜20人程度の仲間と一緒にグループワーク的手法を使って草取りを毎月2回実施している。このボランティア活動に新潟大学の学生さんがやってきた。私はいつもの通りに、みんなに声をかけ、終わった後にコーヒーとお菓子を出し、いつものように穏やかに笑顔で対応していた。私が職場は有明児童センターだというとぜひ訪問をしたいとの話があった。彼が訪問した時には調度100人位の子どもにボール遊びを指導している時であった。私はいつものように危険な行為をしようとする子どもを怒鳴り、注意しながら指導をしていた。この様子を見て学生さんは「田中さんはとても温厚な方だと思っていたのに、こんな面もあるのですね?」と凍り付いてびっくりしてしまっていた。
一人相手のケースワークや3人〜5人の小グループを相手にしているならば、穏やかに笑顔で対応が出来る。ちょっと位ヤンチャな子がいても、ぐっと睨むくらいで解決できるものだ。30人前後のグループワークならケースワークの時とは違って、少しメリハリをつけた指導が必要となるであろう。そして100人位の大規模グループワークになれば、集団として「ダメなことはダメ」とか「ここでの暗黙のルール」とか危険行為への「抑止力」とかが必要となるであろう。ちょうど、大規模イベントには駐車場の誘導員やガードマンそして時には警察官の派遣を依頼することと一緒である。また万が一の事故に備えて保険への加入も必要となる。この種のことを考えないで、大規模グループワークを実施することは出来ない。これが仮に小学校区を単位とする5000人程度のコミュニティワークとなると、様々な団体との協力が必要となる。小学校・PTA・コミュニティ協議会・自治会・消防・警察・老人会・地元企業・地元政治家・篤志家・公民館・民生児童委員協議会・保護士・子ども会・児童館・保育園・幼稚園などなど様々な組織が関係してくることになる。したがって、上手い具合のすり合わせや妥協や政治的配慮などが必要となってくるであろう。
ケースワーク(1人〜3人〜5人)→グループワーク(20人〜40人)→大規模グループワーク(100人〜)→コミュニティワーク(1000人〜)といったように人数が変わることによって、指導の手法は異質なものが必要となることを理解することが大切であると私は思う。
大型グループワークを支えるもの
大型グループワークの実践課程は、通常のグループワークに比べて、準備や用具や人的なものがたくさん必要となってくる。例えば、平島公園の活動で考えてみる。平島公園には乗用芝刈り機1台・自走芝刈り機4台・草払い機4台・ブロー1台・発電機1台・ガス釜1台・プロパンガス台1台・テント10ヶ・長机10ヶ・椅子10ヶ・草刈り鎌20ヶ・草集め箒などなど多数の器具を所有している。そのための物置も5つある。大型グループワークを支えるための物的な資源はとても大切である。もちろん単年度でこのような備品を揃えることはできない。3年〜5年程度の長期計画の中で、すこしづつ充実させていくことが必要となるであろう。このためには経費削減を図り、無駄なお金を使わないことも必要である。