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2024年3月24日

四旬節第6主日賛美礼拝

讃美歌           309番(讃美歌21)
み名による祝福
ざんげ 
赦しのみ言葉
主日の祈り
聖書日課 
 第一日課 イザヤ  50: 4~ 9a(旧約P.1145)
 第二日課 フィリピ 2: 5~11(新約P.363)
 福  音 マルコ  11: 1~11(新約P.83)
讃美歌           297番(讃美歌21)
説教   「キリスト(救い主)の従順」
讃美歌           300番(讃美歌21)
信仰告白(使徒信条)  
献 金 
教会の祈り
主の祈り
祝福
讃美歌             29番(讃美歌21)




マルコによる福音書11章1節から11節

「キリスト(救い主)の従順」

 人間は罪を犯します。そのため、人間に従順であることは危うさをはらんでいます。しかし、神さまは完全です。愛そのものです。神さまに従順であるならば、様々な恵みをいただくことができるでしょう。
 今日は枝の主日です。今日から受難週が始まります。その始まりに与えられた福音を共に聞きましょう。

 さて、本日も福音書を見てみましょう。イエスさまたちは、エルサレムに近づかれると、二人の弟子を使いに出すため言われました。
「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」(マルコ11:1~3)
 弟子たちが言われた通りにすると、ロバを借りることができました。イエスさまは、そのロバに乗って、エルサレムに入って行かれました。
 群集は自分の服や葉の付いた枝を道に敷いて叫びました。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。我らの父ダビデの来るべき国に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」(マルコ11:9~10)
 群集の歓迎の仕方には前例がありました。戦争に勝った将軍がエルサレムに凱旋したとき、人々は同じように歓迎しました。そのことから、群衆や弟子たちは、イエスさまに世直しを期待していたようです。
 
 しかし、イエスさまは群衆や弟子たちが期待するような救い主ではありませんでし た。むしろ、真逆でした。父なる神さまは、人類救済のご計画を立てられました。イエスさまにすべての人の罪を負わせて十字架にかけ、そのイエスさまを救い主と信じるすべての人を罪から救うご計画です。ロバに乗ることも、十字架に架られることもそのご計画の一部でした。イエスさまは、その神さまのご計画に従って行動されたのでした。
 このことについて、パウロは次のように教えています。
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(フィリピ2:6~8)
 イエスさまは全ての人を愛しておられます。それなので、すべての人を罪から救い、永遠の命を与えるために父なる神さまに従順であられました。十字架の死に至るまで、徹底的に従順でした。そのおかげで、イエスさまを信じるすべての人は罪を赦され、滅びから救われることになったのです。
 
 ところで、父なる神さま、私たちにも従順であることを望んでおられます。
 もちろん、律法に従順であることは大事です。しかし、私たちは、律法を完全に守ることはできません。そのため、律法によって救われることはできません。
 父なる神さまは、そのことをよくご存じです。それなので、私たちが十字架に架られたイエスさまを救い主として信じることを望んでおられます。その御心に従順に従うならば、私たちは、様々な恵みをいただくことができます。何よりも、神さまは、私たちの罪を赦してくださいます。復活の命を約束してくださいます。そのことを心に留め て、この一週間を共に過ごしたいものです。アーメン。


※参考文献 日本聖書協会発行 聖書 新共同訳 1993年

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