2026年10月4日
聖霊降臨後第19主日聖餐賛美礼拝(新潟地区交換説教)
讃美歌 7番(讃美歌)
み名による祝福
ざんげ
赦しのみ言葉
主日の祈り
聖書日課
第一日課 イザヤ 5: 1~ 7(旧約P.1067)
第二日課 フィリピ 3: 4~14(新約P.364)
福 音 マタイ 21:33~46(新約P.42)
讃美歌 234A番(讃美歌)
説教 「命の土台」
讃美歌 280番(讃美歌)
信仰告白(使徒信条)
献 金
聖餐式~設定
主の祈り
配餐~配餐の祝福
教会の祈り
祝福
讃美歌 541番(讃美歌)
マタイ福音書21章33節~46節
新発田ルーテルキリスト教会での説教要約
「神の国のたとえ~ぶどう園貸与の条件~」
イエスさまは、いわゆる” ぶどう園と農夫の譬”を語られました。この譬は、本日の第一日課イザヤ書が前提になっています。語られた場所は神殿の境内です。そこには、祭司長たち、ファリサイ派の人々、その周りに弟子たち、群衆がいました。
譬に登場する主人は父なる神さまです。ぶどう園はイスラエルであり、神の国です。神の国とは、神さまのご支配です。また、農夫は祭司長や民の長老たち、ファリサイ派の人々といった指導者たちです。僕たちは預言者たちです。息子はイエスさまです。また、収穫は信仰の実りでしょう。
神さまは、イスラエルの民をこよなく愛されました。そこで、彼らを神の国、神さまの愛と平和のご支配のもとに招かれました、律法を与えられ、日々、彼らの必要を満たしました。その上で、イスラエルの指導者たちに、神の国を貸し与えました。神の国を委ねられました。そして、信仰の実りを楽しみにされていました。いわば、信仰の実りが、彼らに神の国を貸し出す条件でした。
ところが、指導者たちは、感謝を忘れ、神さまに背き続けました。民を正しく導きませんでした。そのために、民は信仰の実りをもたらすことができませんでした。そこで、神さまは、彼らを悔い改めへ導くために預言者たちを送られました。ところが、彼らは預言者たちを悉くひどい目に合わせました。そこで、最後に、ご自分の独り子イエスを送られました。息子なら、敬ってもらえると思われたのです。しかし、彼らは、神の国を自分のものにしようとして、イエスさまを十字架に架けて殺してしまいました。イエスさまの殺害については、将来の出来事を確実に起こることとして過去形でたとえられました。
続いて、イエスさまは言われました。
「家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。」(マタイ21:42)
「家を建てる者の捨てた石」とは、人々に捨てられ十字架に架けられたイエスさまのことです。「隅の親石」は、石造の建物の基礎のうち、隅に据える大事な石です。人々に十字架に架けられ捨てられたイエスさまは救いの要でした。彼らのみならず、人間は罪を犯します。そのために、滅びへ向うしかありませんでした。指導者たちも例外ではありませんでした。神さまは、そんな人間を憐れんでくださいました。そこで、神さまは、神の国を貸し出す条件を変えられました。救い主イエスさまを送ってくださいました。このイエスさまを信じる全ての人を神の国に入れてくださることになさいました。神の国を貸し出してくださることになさいました。ただし、そのことは、人間から見たら不思議なことでした。そのために、指導者たちは、イエスさまの譬を聞いても悔い改めませんでした。
ところで、イエスさまはこの譬えを私たちにも語られています。生まれながらの私たちは、神の国に入ることができませんでした。どんなに頑張って、正しく生きようとしても、罪を犯してしまいます。そのために、私たちも、滅びるしかありませんでした。
神さまは、そんな私たちを憐れんでくださいました。そこで、私たちを地上の神の国である教会に私たちを招いてくださいました。私たちが神の国に入る条件は、ただイエスさまを信じることでした。十字架に架かられたイエスさまを救い主と信じるならば、行いと関係なく、罪を赦してくださり、神の国に入れてくださいます。ぶどう園のような豊かな神さまのご支配のもとで、日々、愛を注いでくださいます。恵みを与えてくださいます。遂には、終わりの日に新しい世界で永遠に生きる希望も与えてくださるのです。
ただし、ともすると、私たちも、譬えの農夫のように、教会を自分のものにしようとすることがあるかもしれません。イエスさまのみ言葉に従おうとせず、自分勝手に振舞おうとすることがあるかもしれません。教会を自分の利益のために、利用しようとするかもしれません。もしそうなれば、私たちも譬えの農夫のようになりかねません。それなので、今週も、悔い改めてイエスさまに聞き従いたいものです。アーメン。