1学童が地震時に机の下にもぐる事
近頃(2012現在)頻繁に学校に於ける地震に対する備えとして、学童が机の下に避難する映像がTVで映し出される。本当に地震の時机の下で大丈夫だろうかと旋毛曲がりの私は思うのです。
私が小さい時地震がきたらとにかく外に出て何も無い所に行けと教えられました。それは木造の建物は地震に弱く崩れる怖れがあるのでとにかく外に出よと教えてくれたのでしょう。
近年学校の建物は耐震性が施され地震に強くなり、ある程度の地震には壊れないようになってきました。それで建物は壊れないと言う仮定のもとにこのような指導がなされているのでしょう。本当に学校の校舎は地震に壊れないと言う保証があるのでしょうか。M9以上の巨大地震が襲って鉄筋コンクリートの耐震性の校舎が潰れたとしたら、どうするのでしょうか。机の下等に居て安全であるとは到底考えられないのです。
机の下はせいぜい天井から薄い張り板か棚の物等が落ちてくるのを防ぐ役目くらいにしかなりません。鉄筋コンクリートの天井屋根自体が崩れ落ちてきたらどう防ぐのでしょうか。考えてみたら恐ろしくなります。今のような机の下への防護避難で良い訳がありません。地震が起きたら、直ちに全ての学童を非常口から外へ逃がす方法を考えなければなりません。そして頑丈な避難通路を各教室に設置し直ちに外に避難させる事です。そうでなければどんな巨大地震にも耐えられる強固な校舎に建て替えることです。今のような机の下避難はナンセンスです。このような指導が日本全国一律に行なわれている事に戦慄をおぼえます。
日本の多くの人々は本当にこれで学童を守れると本気で思っているのでしょうか。阪神淡路大震災では多くの人が壊れた建物の中に閉じ込められそのまま命を落とす人、閉じ込められたまま火災で焼死する人がありました。TVで放映している一律の机の下避難を「おかしいのでは」と疑問を持つことも大切な事なのです。地震がきたら私は火の元を確認して一目散に外の何も無い所に逃げる事にしています。
幸い学校には広い運動場があります。何はおいても学童を素早く運動場に誘導避難させる事が最も安全で生命を守る最善の方法であると私は思っています。もちろん津波の心配があれば予め決められた高い安全な場所に避難させる事は言うまでもありません。
2海底のゴミ
日本海も7月の声を聞くと本格的な海のシーズンを迎えます。今年の海水浴場の水質調査の結果は、不適な所は無く、特に良好とされた所が過半数を占めていると発表されました。そして目に見える砂浜(すなはま)のゴミ等はきれいに清掃され、海の季節を迎えますが、目に見えない海の中はどうなっているのでしょうか。
私は昭和45年(1970)と46年(1971)の2ケ年間新潟海域の底魚(そこうお)資源調査を実施する中で調査船の底曳網に入網(にゅうもう)するプラスチック等の合成化学物質の数量を調査しました1)。
それを見ますと、プラスチック等のゴミの底曳網への入網確率は70%近くに達し、佐渡海峡の中央部と新潟市沖合に最も多く分布していることが判明しました。佐渡海峡は大佐度・小佐渡の両山脈に冬期の季節風を遮られ冬でも温暖な気候を呈し有用水産資源生物の産卵場・幼稚魚の育成場として極めて重要な海域です。このような海底のプラスチックゴミの存在が底魚等の生育・生息生態に悪い影響を与えるのではないかと危惧されています。
そしてこのプラスチック類の80%が川から海へ流入する陸上由来のゴミなのです。一度海に流れ込んだこのようなゴミを回収することは非常に困難です。
私は海洋汚染を考える時いつも”華厳経”(けごんきょう)2)の海についての一説を思い出します。
「大海の洋々として量(はか)り無く、辺(ほと)り無い事、
深くて底を尽くしがたい事、次第に深くなって行く事、
様々な宝で飾られている事、
全ての河川の水が集まって流れ込んでいる事、
水の色が様々に不思議な変化をする事、
大きな生物の棲み家となっている事、
水の本来のありかである事、
大きな雲が海上を覆っている事、
常に満々と堪(たた)えられて水量に増減が無い事、等を考えていたのです。」
とあり、
これは世の中もこの大海のようでありたいとの願いが込められた言葉です。
2500年も前に、このように海の偉大な本質を的確に表現されておられることに驚きと畏敬の念を感じます。しかしこの何もかも飲み込んで浄化してしまう大自然の恵みの海も、現在様々な物質で汚染が徐々に進行しているのです。
註
1)浜渦 清編著『新潟県沿岸海域に於ける底魚類の生態資源に関する調査報告書Ⅰ』〔新水試資料’71-7〕新潟県水産試験場(現 新潟県水産海洋研究所)発行1971 pp316~319.
2)海音寺潮五郎著『人生遍路華厳経』木耳社1988 p39.
3放射能海洋汚染
平成23年(2011)3月11日の東日本大震災で、東電福島第一原発による事故で大量の放射性物質を含んだ汚染水が海洋に排出されました。津波により大量の海水が取水溝と排水溝から襲来し原子炉建屋の地下に溜り、更に冷却の為に大量の海水を原子炉にかければ多量の汚染水で貯水タンクはたちどころに満杯になる事ぐらい誰でも解ります。全国から貯水タンクを集めるという先を読んだ対応が全く出来ない東電と政府の拙劣な初期対応がこのような取り返しのつかない事態を引き起こしました。
やむなく11,500トンの大量の放射能汚染水を海に廃棄したのです。福島の海は世界の海につながっています。そして海洋生物は食物連鎖によって植物プランクトンから動物プランクトンへと放射性物質は濃縮され、それを小魚が食べ数年後に成魚となり漁獲対象魚となります。最も心配されるのは数年後の成長した魚類にどれだけ濃縮され蓄積されているかという事です。放射性物質の食物連鎖による蓄積が多くならない事を祈るだけです。
今後プランクトンや小魚を食べて成長した数年後の成魚と、原発周辺海域の定着性の底魚や海藻類の放射能蓄積状況がどのような経過をたどるか見極めなければなりません。今から放射性物質の生物蓄積状況を精密に定期的継続的に検査する事が重要です。(頭部と内臓を除いた可食部の検査ではなく、全体の検査が必要で年齢別にサンプリングして実施する必要があります。)そして決して汚染魚が食卓にのぼる事のないように厳重な監視が必要です。この為損害を被る関係漁業者への補償は当然の事ながら東電・政府が責任を持って対処しなければなりません。
それにしても海に廃棄しなければならなくなったという初期の拙劣な対応から、海洋と豊かな海の幸を汚染させ取り返しの付かない状態にしてしまった東電及び政府の関係者には重大な責任があると私は思っています。
4ヒューマニティーの発露1)
明治38年(1905)鳥取県の岩美町の人々は海岸に打ち上げられたロシア将兵の遺体を手厚く埋葬しました。これは人間のモラルとしては当然のことですが、日露戦争の最中のことでは勇気有る高潔な行いでした。
『昭和63年(1988)5月15日に岩美町が主催したこのロシア兵の慰霊祭に参列したクズネツォーフ駐日ロシア(旧ソ連)公使は、岩美町の人々に感謝の意を表し、
「ロシアと日本の海岸を洗うこの日本海が隣国同志の両国民の友情と協力の海となる事を希望する。」
と述べました。
その後地元の浦富小学校を訪問した時の学童との交流はとても印象的なものでした。元気で人なっこい純心な児童達、どんなにか心を込めて上手に歌をうたってくれたことでしょう。自分達で描いた絵を手渡して、
「ロシアの学童と絵の交換をしたい。」
と言うのです。
公使は学童に感謝し、
「ロシアの子供にそれらの絵を必ず渡す。」
と約束しました。
これは公使に同行したアレクセイ・パンテレーエフ 、ノーボスチ通信東京支局長の記述2)の要約です。
私はこの話に接し、心から深い感動を覚えました。
それで当時(1999年現在)、知人のウラジオストック市にある「ロシア太平洋漁業海洋学研究所」のLeo N. Bocharov(レオ N. .ボチャーロフ)所長とAlexandr A. Kurmazov(アレキサンダA.クルマゾフ)顧問の両氏にこの話をし、佐渡島にも同様に漂着したロシア兵を手厚く弔(とむら)った記録があり、その墓標も現在あることを伝えました。両氏は大変感激され、
「早速ウラジオストック新聞に掲載し市民に紹介したい。」
と言われ、後日その事が掲載された新聞記事が私の所に送られてきました。{平成11年(1999)7月12日}ウラジオストック市民の反響は大きいものであったと記してありました。
日本海の対馬沖の海上で「日本海海戦」が行われたのは107年前(2012現在)の5月27日でロシア将兵4,545名、日本将兵107名の尊い命が失われ、佐渡島の「外海府」と「二見」にロシア兵の亡骸(なきがら)3体が漂着したのは63日後の8月3日と4日のことでした。
註
1)発露;真情を表すこと。
2) 出典;『ソ連人は日本をどう見ているか?』イ-ゴリ・ラティシエフ、アレクセイ・パンテレーエフ著、他、ノーボスチ通信社東京支局 編 小林真梨子訳、P243~244、新森書房、1990
5国連海洋法条約にかかる法の精神・法の遵守とは
1国連海洋法条約成立の経緯
通称「国連海洋法条約」といわれる国際法は正式には「海洋法に関する国際連合条約」と言われ、320条と9つの付属書からなる国際法である。1994年(H6)11月16日に発効したもので、我国では1996年(H8)6月の通常国会で承認され7月20日に発効したものである。
元来海洋は、一国家の領有するものではなく、全世界の人々の共有する財産であり、"公海自由の原則"が海洋の基本原則であった。
ところが日本が第二次世界大戦で敗北し無条件降伏をして44日後の大混乱の時期の1945年(S20)9月28日に米国のトルーマン大統領は、
「大陸棚の海洋底とその地下の天然資源に関する米国の政策」
「公海の区域の沿岸漁業に関する米国の政策」
という二つの海洋・漁業施策に関する宣言を発した。(今田清二著『公海漁業の国際規制』海文堂1959)
この宣言は大陸棚の生物及び地下資源に対して、沿岸国が主権的権利を有するという沿岸国の権利を守る事を主眼とした施策であった。
この宣言が出されるとこれが引き金となって、ナショナリズムの台頭もあり、主としてラテン・アメリカ諸国が、まず海洋200海里の主権を主張した。
海洋はこの時代(第二次世界大戦後)から、船舶・航空機の発達、石油等の海底鉱物資源の採掘技術の発達、大陸棚の生物資源の独占等、容易に海洋を支配出来る状況が整ってきたものであり、広大な海洋の領有支配を沿岸国が主張するようになって来たのである。又新しく独立した国家のナショナリズムの高揚も国土周辺の海洋の主権を主張するようになってきたという時代背景がある。
第二次世界大戦後国際連合の設立に伴い海洋秩序の国際法典の成立をはかるべく1951~1956年に国連に於いて検討協議が行われた。
1)1958年(S33);第一次国連海洋法会議の開催。
この会議に於いても、領海の幅を決める事が出来ず、海洋は自由か否かと言う国際法の基本原則の問題を未解決のまま将来に残す事となった。しかし領海の法的地位・領海を決める場合の基線・湾・島・低潮時隆起・無害航行権等について規定することが出来た。
2)1960年(S35)第二次海洋法会議。
3)1973~1983年(S45~58)第三次海洋法会議。
1976年(S51);深海底の問題等を除き実質的な条約草案が完成。米国・カナダ・EC・旧ソ連が排他的経済水域を設定(1977年から施行)。
1977年(S52);日本国も「漁業水域に関する暫定措置法」を公布し1977(S52)7月1日より施行。
ところで我が国は、1633年(寛永10)江戸幕府により鎖国令が出されてから開国まで国を閉ざしていたため、その間の230余年間、対外的にほとんど問題は無かったわけであるが、明治維新の開国により、領海法等の法的整備が必要となり1871年(M4)太政官布告第546号により、着弾距離説を注書して「およそ3浬、陸地から砲弾の達する距離」としたが、翌1872年(M5)同布告第130号を公布し正確な数値を示し「海里は緯度1度の60分の1をもって1里と定め、陸里16町9分7厘5毛」とした。1浬は地球の緯度1度の60分の1の長さを言い、1,852mである)。これ以来1977年(S52)の100年余り「領海3浬」を国是としてきた。
これは海洋立国日本・水産立国日本という立場から、なるべく公海を広く、沿岸国の領海を狭くしておいた方が相手国の沿岸海域に行って漁業操業等で有利であるからである。ところが旧ソ連との漁業交渉に当たり、同じ土俵に乗らなくては不利を生じる事から、取りあえず暫定的に公布したものであり、これにより日本国は「領海12浬」「排他的経済水域設定」へと移行したのである。
まさに我国は100年あまり堅持してきた海洋自由の原則を破棄し世界の趨勢に従い”200海里(370.4Km)新時代”に舵をきったのである。
1982年(S57);国連海洋法会議に於いて「国連海洋法条約」を採択。
1983年(S58);我が国、同条約に署名。
1993年(H5) ;ガイアナが60ケ国目の批准国となり、1年後の発効が決定。
1994年(H6) ;11月16日正式名「海洋法に関する国際連合条約」(通称「国連海洋法条約」)本文320条・9付属書)が発効。
2条約の概要
1)領海[第2~54条](Territorial Sea)
範囲を12海里とする。直線基線を用いることが出来る。領海内に於ける「無害通行権」を認める。国際海峡については特別の通過通行権を認める。
瀬戸内海は歴史的水域の"内水"として国際的に認知されている。ロシア極東のピョトール大帝湾は1957年(S32)以来、チユメン・ウラ河口とポポロトヌイ岬を結ぶ湾口115海里の陸側水面を内水と定めて、この基線からさらに沖合に領海12海里を設定している。我が国はこれを認めていない。
2)接続水域[第33条](Contiguous Zone)
領海に接続する水域(24海里以内=領海12海里+12海里)であって、領海内に於けると同様に通行・財政・出入国管理・衛生上の取り締まりを行う。
3)排他的経済水域[第55~75条](EEZ Exclusive Economic Zone)
範囲を200海里とする。沿岸国はその水域に於ける天然資源、その他の経済的な主権的権利を有する。沿岸国はその排他的経済水域に於いて漁獲可能量(TAC Total Allowable Catch)を定めると共に、生物資源の保存及び管理に関する措置を講じなければならない。
4)大陸棚[第76~85条](Continental Shelf)
大陸縁辺部の外縁までの区域(最大350海里)とする。天然資源の開発は、沿岸国の主権的権利とする。
5)内水[第8、50条](Internal Waters)
内水は領土と同じ性格を持ち、基線の陸地側の水域としている。
6)公海[第86条](High Seas)
いずれの国の排他的経済水域・領海・内水・群島水域にも含まれない海洋の全ての海域を言う。
7)深海底[第136~155条]・その他。
深海底及びその資源は人類共通の遺産と位置づけ深海底鉱物資源の開発は国際的な管理下に置く。海洋環境の保護・保全・海洋の科学的調査、海洋技術の開発・技術の移転等に努める。(日本海運振興会・国際開運問題研究会編 『新しい海洋法』成山堂書店1995)
以上が国連海洋法条約の成立の過程と概要であるが、今日、野田総理(2012年12月20日現在)は国連(2012年9月26日)やアセアン(2012年11月19日)の国際会議の席で演説し、中国と日本に於ける二国間には領土問題はないとの前提の下に、竹島の韓国による実効支配問題・尖閣諸島への中国監視船の領海侵犯問題を念頭に、国際法の遵守と法による支配により諸問題を平和的に解決していきたいと、日本国の基本姿勢を訴えた。
竹島の領有権問題について日本は我国の固有の領土を不法に占拠しているもので、国際司法裁判所に提訴しその裁定を仰ぐのが最善の策だとして提訴しようとしたが、韓国の提訴拒否や提出書類の準備に時間を要する事等から先送りへ変更している(2012年10月27日新聞報道)。
ここで最も重要な事は提訴したとして裁判に果たして勝てるかという事である。勝てる見込みが無ければ提訴してはならない。実は海洋における歴史的過程から実効支配している状況の方が有利であるという見解が示されているのである。どのように歴史的に正当性を説いても、現在実効支配しているか否かが大きな判断の要因となる事が考えられるのである。この事は北方四島についても同様な事が言えるのである。
日本国は竹島及び北方四島について領有権の正当性を世界に絶え間なく訴え続ける努力を惜しまない姿勢こそ現在は最善の策である。必ず日本に有利な状況が生み出されてくる事を諦めないで待つことである。これは無策なようにあるが選択肢の無い場合は待つという手段よりベターなものは他にはない。焦らず環境・時代の変化を忍耐強く待つ方が現在は得策であると私は考えている。
次ぎに、尖閣諸島については日本国固有の領土であり「日中間には領土問題は存在しない」とするのが日本の基本姿勢である。そして2012年9月11日に正式に国有化し、現在日本が実効支配している島である。とすれば、問題は中国監視船が連日領海侵犯をしているのをどう防止するかということになる。又中国漁船も大挙して領海侵犯を犯す作戦に出てくることも想定される。12月14日には監視航空機が領空侵犯をした。これらの挑発行為に何処までも冷静に対処していかなければならない。このことが最も大切な事なのである。主権を侵犯するものに対して地道で効果的でないかも知れないが、冷静に領海の外に出て行くように仕向けるより手段はないのである。
このような竹島・北方四島・尖閣諸島問題で最も大切な事は、日本国民の全てが国境警備の第一線で対応している関係者に理解と敬意を惜しみなく送り励ます事である。この事が相手国側に一番ダメージを与える事につながるのだ。国民総意で領土・領海・領空を守りぬく決意を相手に常に示しておく事である。
ところでどうして中国はこの尖閣諸島をこれまでして欲しがるのであろうか。その理由は三つ考えられる。
(1)これらの海域に石油の埋蔵量がイラクに匹敵するくらいあると推定される報告が1968年(S43)に国連調査団から発表された事である。それ以後強硬に尖閣諸島の領有権を主張するようになった。
(2)中国側が「国連海洋法条約」第六部第76条~第85条に規定されている大陸棚条約の第76条「大陸棚の定義」と第77条「大陸棚に対する沿岸国の権利」により、沖縄トラフ1)まで中国大陸の大陸棚が連続して延びているのでその海域の生物資源及び地下資源は中国の主権的権利が及ぶとする論拠である。これに対して日本国は第五部第55条~第75条に規定している「排他的経済水域」の条項を適用して日中両国の距離的中間線を境界としようと提案しているのである。
そして先頃(2012年12月14日)中国政府は正式に”大陸棚拡大申請書”を国連大陸棚限界委員会(大陸棚の認定審査機関で第76条8・付属書Ⅱ・第83条)に提出し受理され今後審査が開始される事になつたのである。第76条と第77条により中国の大陸棚が東シナ海に歴然と存在する事実を日本国民は認識しておかなければならない。中国が一方的になんの論拠も無く無謀に海域の主権を主張している訳ではない事を頭に入れて対処しなければならないのである。しかしこの論拠に基く主張はこれら海域が中国の大陸棚であり主権的権利が及ぶとするだけで、海洋法上からは尖閣諸島の領有権とは全く関係ない。そして中国大陸から延びる大陸棚は同時に朝鮮半島からも、日本国の九州海域からも、台湾海域からも、さらには尖閣諸島からも延びていると解釈されるのである。この為尖閣諸島はどうしても領有したいとしているものであり、中国にとっては咽喉もとに突き刺さった棘のようなものである。
(3)尖閣諸島は中国にとって戦略上地理的に極めて重要な位置にある。沖縄の米軍基地への対処及び台湾支配には欠かせない存在であろう。中国がもし尖閣諸島を手に入れれば、軍事基地化する事が懸念されるのである。
これら3つの要因から今後攻勢を一層強めてくる事は明らかである。
野田総理が国際法の遵守・法の支配・法の精神の尊重を強調すればするほど、中国側もその線に則った対応策を繰り出しくるであろう。大陸棚拡大申請はまさにその線に沿って提出してきたものである。日本国は今後「排他的経済水域」の条項と「大陸棚条約」の条項とを国益に叶うようミックスした理論構築を行い、中国の主張に対処して行かなければならないであろう。
更にトルーマン宣言に端を発した国連海洋法条約は沿岸国の主権的権利を守る事が基本的精神である。アメリカ政府首脳も野田総理の主張する主旨に賛同しているのは、同床異夢でこのトルーマン精神を尊重しているという解釈で賛意を表明しているものであり、海洋法の精神をくみ取り沿岸国の権利主権を最も重要視している国は当のアメリカである事も日本国民は認識しておかなければならない。
アメリカ政府が尖閣諸島は日本の領土であり日米安保条約の対象となると明確に表明し中国に率直にその事を伝えているのは、日本国の尖閣諸島領有の主張が正義であり、かつアメリカの国益が何処にあるかに基く判断であり、容易に理解出来る単純明快な行為である。
「正義」とは、カントによれば、
「他人の自由によって制限された我が自由である」
という。
―Justice is defined by Kant as"my freedom limited by the freedom of the other."―
(今田清二著『公海漁業の国際規制』海文堂1959より)
他国との外交交渉は「武器無き戦いである」という。如何に国益に叶いそれが正義の主張であるかが判断の決め手となる。
法の遵守・法の尊重を強調する事は悪い事ではない。しかし2012年12月16日の総選挙で、格差が2.30倍以上は憲法に違反する状態であるという最高裁判決が2011年3月23日に出ているにも拘らず是正しないまま選挙を実施した。野田総理は自国の憲法すら遵守しなかった事になる。先の菅政権が体当たりした中国漁船の船長を起訴猶予とし早々に送り返した事といい、この度のように野田総理が日本国憲法無視の違憲状態のまま総選挙を実施したのでは、如何に国際社会に向って法の尊重・遵守を訴えても虚しい限りである。
マキャベリの言葉『政策論』に、
「国家にとって法律を作っておきながら、その法律を守らない事程有害な事はない。特に法律を作った人が守らない場合は文句無く最悪だ。」
とある。
憲法は国家の根本原則である。それを軽く無視し、消費税増税という国民に負担だけ負わせただけで、議員定数の是正すら実行せず、国会議員改革・公務員改革等何もしなかった事が、今回の総選挙の結果を齎したのではなかったかと思うのである。
註
1)トラフ{Trough舟状海盆(しゅうじょうかいぼん)};トラフの意味は西部劇に出てくる牛の牧場に設置してある細長い木板で出来た牛の水飲み場である。その装置に海底形状が似ている為に呼ばれるようになったもので、海溝より少し浅くおよそ水深5,000m未満の細長いが海溝より幅広い海底の窪みをいう。海溝と同じようにプレートの沈み込みによって形成された所もあり海溝の初期の段階であると考えられている。
沖縄トラフとは九州南西諸島から琉球列島の西岸に位置する長さ約1,000Km,巾約100Km,最深部2,200mの窪んだ深みをいう。