それは異様な雰囲気を放っていた。
少なくとも琴音には、そう思えた。
自分の目の前で幼なじみのアヤトの首筋にナイフを突き付けている者。
それは、どこか痩せた感じの体躯に二メートルはある身長、手足はとても長い。
身体を忍者の忍装束のような黒い衣服で被い、顔には頭全体を覆うような仮面を被っている。
それだけでも蜘蛛を連想させるような異様さであったが、それが人のように二足で立っているのが不気味であった。
「きゃあぁぁぁっっっっ!!!!!!!!!」
悲鳴が上がるのとナイフが銀色の弧を描くのは、ほぼ同時であった。
アヤトの反応は素早かった。
ナイフが首筋を切り裂く直前に十分に魔力の込められた右腕で脇腹に肘撃ちを入れる。
同時に左腕で相手のナイフを持った腕に掌で一撃を加えて上に押しやる。
この時、若干肘撃ちを早めにくり出して自分も相手と同じ方向に行き、首筋からナイフを遠ざけた。
ナイフはアヤトの魔力のこもった一撃によって見当違いな所を薙ぎ払う。
一見、不可能な技だがアヤトには不可能を可能にする訓練や経験をつんでいる。
つまるところ、こんな芸当なら『おちゃのこサイサイ』なのである。
「……………へ?」
早すぎて琴音には何が起こったのか理解できずに思わず間抜けな声をあげてしまった。
アヤトは素早く相手との間を取り構えた。すると相手は両手をだらんとぶら下げたような奇妙な構えを取る。
既にナイフは手にはない。
(……おかしいな?……)
アヤトは心の中で訝しがる。今の一撃は喰らえば肋骨が粉々になってもおかしくない一撃である。
見たところダメージは喰らってないようだ。
(痛覚を感じてないのか?)
相手を睨むように目を細めた瞬間。相手が右腕を前に突き出す。
突如。
アヤトの目の前に黒い影が迫った。影は避けきれないスピードで視界に大きく広がる。
そして衝突。
次に視界に見えたのは天井にぶら下がった照明だった。眩しさに目を細めるが不意に黒い影が視界の中に躍り出る。
(………腕?)
一瞬の内にアヤトの顔面にぶつかったのは腕であった。
長さから想定して第一関節のところから離れていると思われる。
つまりこれはいわゆる。
「ロケットパンチ!!!!」
琴音が悲鳴混じりに叫ぶのが聞こえた。
「ちいっ!!」
地面にぶつかる直前に受け身をとって素早く起き上がる。すると相手は、もう目の前まで迫っていた。
素早く右手を突き出しながらアヤトが叫ぶ。
「威圧の障壁!!」
瞬間的にアヤトの手の平の先の空間が収束してゆく。瞬時に空気の壁となった空間にアヤトが魔力を込める。
「破っ!!」
魔力を伴った空気の壁が大きく広がってゆき、相手を力強く押し返す。
相手は足に力を入れて踏ん張るが強力な障壁に足の裏を滑らせながら押し戻されてゆく。
そのスキをアヤトは見のがさなかった。空いた左手をコートの中に入れ目的の物を取り出す。
ジャキッ!!
コートの中から現れたのは拳銃だった。自動拳銃ではなく今どき珍しいリボルバーである。
未だに障壁に押されている相手に手際よく銃口を向ける。そして立て続けに全弾が発砲された。
六発の弾丸は全て先程のロケットパンチのお返しとばかりに相手の顔面に命中して小さな爆発を六回起こす。
放たれた弾は炸裂弾。命中すると小さな爆発が起こる仕組みになっている特殊な弾である。
この弾なら人の頭を吹き飛ばすことさえ容易にできる。
しかし。
「生きてる!!!」
琴音が驚愕の声をあげた。
彼女の言葉通り、相手は生きていた。
弾を喰らって倒れたが、すぐさま何事もなかったように起き上がり、また腕をぶら下げた構えを取る。
飛ばした腕もいつの間にか戻っていた。細いワイヤーか何かで繋いであるのだろう。
アヤトも内心は驚愕していたが表に出せばスキができてしまうために、これを自制している。
しかし相手が人間ではないことだけは分った。普通の人間が腕を飛ばすことができるわけがない。
おそらく古代の守護ロボットか何かであると見当がつく。
そして二人の動きが睨み合うように止まる。
しかし、それも一瞬だけ。
先に動いたのは相手だった。先程と同じような右腕を前に突き出したポーズをとる。そして放った。
今度のそれは先程のように腕をそのまま飛ばすのではなく、指を一本一本、分離させて飛ばしている。
指はそれぞれナイフのように鋭い。
アヤトは何も言わずに素早く弾を五発だけ装填する。その間コンマ一秒。無言でアヤトは五発弾丸を放った。
狙うは飛来してくる鋭い指。弾丸は値段の高い炸裂弾が通用しないと分った今、通常弾で十分である。
弾道は、相手の指のやや内側をピンポイントして狙ってある。そうすれば。
かきぃぃぃんん!!!
指先に当たり、指の軌道を外側にずらすことができる。
アヤトの予想通りに、こちらを狙ってきた指はすべて外側にずれる。
次の瞬間には、アヤトはもう間合いに入っていた。
恐ろしく速い。
そして相手の顔面にピタリと銃口を押し付ける。中には移動中に装填しておいた炸裂弾が込められている。
いくら頑丈といえども至近距離で炸裂弾を喰らえば無事ではすまないはずである。
ニヤリと不適な笑いをするアヤト。相手の表情は仮面のせいで伺えない。
もっとも人間でないと思われる相手に表情があるのかどうか分からないが。
素早く全弾発砲。
そして、それは起こった。
「なっ!!」
アヤトが目の前の光景に少なからず驚愕の声をあげる。
弾丸は全弾とも命中していない。それどころかアヤトは一瞬、相手を見失ってしまった。
慌ててアヤトは周りを見るが周りに逃げた様子はない。こんどは近くを探す。
接近しすぎている可能性もあるためだ。そしてアヤトは自分の目の前に相手を見つけた。
しかし、なぜ目の前にいるのに気づかなかったのだろうか。
「なにいいいいいいっっっっっ!!!!!!!」
先程よりも、さらに大きな声量で叫ぶアヤト。
その光景は異様だった。
相手は足の膝から上を曲げて反らしていた。琴音がその状況を見て叫ぶ。
「マ…マトリックス!!!」
まさしく、その光景はマトリックスの弾丸を避ける例のシーンにそっくりである。
しかし、こんな至近距離でやられるとはアヤトも思わなかっただろう。
同時に反り返った反動によってワイヤーで繋がれた指先が宙を舞い戻ってゆく。
「ちぃっ!!」
すぐさま攻撃に出るアヤトだったが相手の方が一瞬だけ早い。
アヤトの瞳が無気味な相手の仮面を映し出す。思わず、ゴクリと唾を飲んだ次の瞬間に視界がブレた。
直後、弛んだ腹に衝撃が走る。そして、アヤトの瞳は石造りの地面を映してゆく。そして今度は背中の衝撃。
アヤトは思わぬ衝撃に受け身をとれなかった。おそらく壁にぶつかったのであろうと予想がつく。
「くっ……!!」
苦悶の声をあげるアヤトの目の前に黒い影が躍り出た。ちょうど相手が空中に跳びながら膝を曲げているのが見えた。
軌道はこちらに向かっている。このままだと相手のフライングニーがアヤトの顔面に命中してしまう。
命中すれば致命傷は避けられない。
アヤトは避けようと身体をおこすが相手の方が早い。おそらく顔面の命中は避けきれないだろう。
致命傷を避けるためにガードの構えを取るアヤト。
ゴッウゥゥッッッ!!!!!!
突如、耳もとに、ものすごい轟音が響く。同時に目の前にいた相手も忽然と消え失せている。
立ち上がったアヤトが不思議そうに首をひねる。すると、
「命中〜!!!」
琴音が何やら野球選手が投た後のポーズをとりながら満足そうに笑みを浮かべる。
おそらく、そこらへんに落ちていた石でも投げたのであろう。
それにしても、命中したとはいえ空中にいる相手を吹き飛ばす威力の投球……もとい、投石をした琴音のパワーとコントロールには驚くものがある。
「あ!! そうだっ、相手は!!??」
慌てて振り向くアヤト。
すると、そこには異様な体つきを、さらに異様にして立っていた。
投石の衝撃が思いのほか強力だったのか、身体の関節が異様な方向に曲がっている。
大きく反り返った背中に、絡まったマリオネットのように曲がった腕。
足は着地の衝撃に耐えられなえられなかったのかボロボロにひしゃげている。
当然そのチャンスをアヤトが見逃すはずがない。
「さんきゅ、琴音」
アヤトは、それだけ言うと素早く相手に向き直った。
一陣の黒い風が吹き抜けた。
一瞬で相手との間合いを縮めたアヤトは手際よく手を振るわせた。
その手に繋がれた鋼糸がライトの光を反射しながら銀色の尾を引く。
「殺」
短く呟くアヤトの声が、はたして聞こえただろうか?
刹那の時、相手は宙を舞っていた。それと同時に、どさっ、という音をたて何かが床に落ちた。
アヤトが相手の左腕を鋼糸で切断した瞬間を誰が目撃できただろうか。
素早く腕を振るうアヤト。
オーケストラの指揮者のように腕を動かしながら、指はピアノを奏でるかのようにウェーブしている。
アヤトが腕と指を動かす度に相手の身体の一部が切断されて嫌な音を立てる。
アヤトが腕を大きく引き、相手の身体を二つに分ける。
それでもそれでもまだ、とどまるとこを見せつけずに、アヤトは、ひたすら腕を振るい続けた。
まるで、相手を殺すこと自体を楽しんでいるかの様に。
その光景は、まるで殺戮の旋律を奏でる指揮者のようで、とても幻想的であった。
(この光景が幻想的なんて………わたし、どうかしちゃったのかしら?)
ふと琴音は自問する。が、すぐに頭を振る。琴音の目には幻想的に見えた。そう見えたのだから、わざわざ否定する意味もあるまい。
「ふぅ……」
アヤトが、ため息をついたのを見て、琴音は戦いが終わったことに気がついた。
先程まで、そこにいた相手は今やバラバラに切り刻まれている。
ほんの一瞬のスキをアヤトに見せてしまったのが相手の運命を決めたのであろう。
「じゃっ、とっとと行こうぜ」
切り刻まれた相手には一瞥もせずに、アヤトは琴音とともに扉へと向かった。
「おや、どうかしましたか?」
扉を開けた先には一人の四十男の立っていた。
髪の毛を無造作にのばし、さらにそれを無造作に結んだだけのヘアースタイル。
華奢な体つきにヨレヨレの白衣といった具合にだらしない格好。
へらへらと笑った顔が男のだらしなさを引き立たせていた。
(あれ? 確かこの人)
「お、親父っ!!」
「おー、そういうお前は我が娘!!」
アヤトの考えを破ったのは琴音の驚愕のセリフだった。
そう、この男こそ今回の目的である琴音の父親、牧島 智一(まきしま ともかず)である。
あまりの展開に琴音は呆然としている。
そんな琴音を見てアヤトは今までの苦労がまったくの無駄だったことに深々と嘆息した。
「てっきり、死んだかと思ってたよ…」
「あー、アヤトひっどーい」
琴音が頬をふくらませて怒るのを見た智一は、何を思ったのか琴音の真似をして言った。
「ひっどーい」
「…………………」
「あ、あの、そういえば親父どうしたのいったい?三日も帰ってこなかったじゃない」
凍り付いた場を琴音が話題を反らすことでフォローする。
(というか、これが本来の話題なんだけどな…)
そのアヤトの心境を知ってか知らずか、智一は気軽に答える。
「ああ、三日くらい普通じゃないですか」
(そう、確かに普通なら)
しかし、智一は遺跡調査の申請を出してない。
これだけで、反逆罪をくらって権利を剥奪されてしまうだろう。琴音がそのことを父に問うと、
「ああ、忘れてました」
と、さらりと言ってのけた。
「あほかあああああっっっっっっっ!!!!!!!!!!!」
アヤトの叫び声が遺跡全体に響くが、当事者である智一はいたって落ち着いていた。
「ばれなきゃ平気ですよ」
「って、そういう問題じゃないでしょ!!」
琴音も悲鳴混じりの声で言うが智一は相変わらずへらへらと笑っている。
すると、智一が何かを思い出したように手を打つ。
「そうそう! この遺跡に侵入者が入ったんですよっ! 一応ここのセキュリティシステムが生きてたので起動させましたけど、侵入者に合いませんでした? システムレベルは最高にしときましたが……う〜ん、次は殺らないと」
「あああ、あの罠、もしかして……」
真顔で怖いことを言っている父を琴音が悲痛な面持ちで指差すが、智一は気づいていないようだ。
すると、アヤトがすっと前に出てうめくような声で何かを言っている。
「そうか……こいつか……俺を殺そうとしたのは……」
ざざざざざざっっ!!!!
今までのそれとは違う明確な意志の力に、琴音は自然と後ずさっていた。
それは自分の意志による行動ではなく、本能に近い動きであった。
ぷちっ
何かが切れた音がした。何が切れたのかは言わなくても分かるだろう。
溢れ出す殺気に琴音は人知れず聖印を切る。もとより止めるつもりはなかった。
止めるだけ無駄というか、琴音の中でも「こんの腐れ親父がっ娘を心配させて。ぶっ飛ばしてやろーかっ」って気分が、少しばかりではなく大量にあったりするのだ。
そして、周りの大気が。
渦巻く力が。
アヤトの怒りが。
一点に集中した。
「おや? アヤト君、どうかしたのかな?」
「破壊の慟哭!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
激流のような光と、押し寄せる爆風。そして黒い明確な殺気と共に……
琴音の中で牧島 智一は思い出になった。
<とらっぷ・ぱにっく:完