ピンと張り詰めた糸……
それは今の心境をまさしく現していた。
上から叩き付けられてくる風にミディアムショートのバイオレットの髪の毛が荒々しくなびく。冷たい風はゆっくり流れる血を氷らせるように乾かす。
落とし穴から落ちたアヤトは、落ちる瞬間に自らの暗器である鋼糸を横から飛び出した槍に巻き付けて落下死をまぬがれた。
しかし落下が止まった瞬間の慣性は殺すことができずに、指にアヤトと琴音の体重分の衝撃を食らってしまった。
指の切断は身につけていたグローブが対刃制なのでまぬがれたものの、指に決して浅くはない傷を負ってしまった。
鋼糸を片手に巻き付けている状態でぶら下がっているアヤトに彼に後ろからしがみついている琴音。
今にも切れてしまうのではないかと思わせるくらい細い鋼糸にぶら下がっている二人は、まるで地球の昔話の蜘蛛の糸を思わせる。
「おい…大丈夫か?」
アヤトは後ろにしがみついていながらピクリともしない琴音に呼び掛けた。いくらなんでも、さっきの落下でショック死というのは寝覚めが悪い。
「う…うん…大丈夫」
声は弱々しいがしっかりとした返事にアヤトは安堵のため息をつく。
そして、アヤトは身を引き締めるとゆっくりと着実に鋼糸に指を絡ませながらつたって行く。
1回1回つたう度にアヤトの額から珠のような汗が吹き出す。ふと、心配に思ったのか琴音が聞いてくる。
「ねえ、指は大丈夫なの?」
「ああ、魔力でコーティングしているからな」
琴音の質問にアヤトはしっかりした声で応えた。琴音がアヤトの指を見ると、うっすらと青白い光がアヤトの指を包み込んでいた。
この世界の生物は一般的に魔力と呼ばれる力を持っている。
この魔力を使って様々な用途----『攻撃』『防御』『補助』『治療』などに利用することができる。
魔力の量やその魔力を使う素質は個人によってバラバラだが、誰でも訓練すれば初歩程度ならば基本的には扱えるのである。
今のアヤトの指に魔力をコーティングするという行為は一見、魔力を収束するだけの簡単な作業だと思うが、実はかなりの集中力を必要とする作業なのである。
魔力で展開しただけのシールドを収束するなら簡単だが、それを指にピッタリと膜のように貼るのがとても集中力の必要な作業である。
「結局、全部俺がお前の後始末してんじゃねーか」
「ごめーん」
彼女の軽い答え方にアヤトは憮然とした表情で押し黙る。
そしてアヤトは、鋼糸をつたいながら記憶の中を整理した。
そうあれは三日前----
がごおおおんっっ!!!!!!!!
激しい音をたてて彼女がアヤトの家を訪ねてきたのは今からだいたい三日前のことだった。
「助けて!!アヤト!!」
聞き慣れた声にアヤトは歯を磨きながら応えた。
「んー? どーひた?」
慌ただしく家に入ってくる彼女にアヤトは歯を磨きながらリビングを覗き込んだ。すると、琴音が物凄い形相でアヤトに異常接近して一言。
「事件なのよ!!!!」
「?? 事件って……殺人事件?」
そう言いながらチラリと玄関を見る。すると粉々に崩れたドアの破片があちこちに散らばっていた。
何故破片が散らばっているのかは、おそらく琴音が家に入る際に鍵がかかっていたので破壊した……そんなとこであろう。
彼女はアヤトの問いに作品の仕上がらない芸術家よろしく髪の毛をくしゃくしゃかきむしりながら答える。
「ちがーう!!! 失踪事件なのよ!!!!!!!」
「誰が?」
慌てる琴音に対してアヤトはあくまでも呑気に接する。そんなアヤトを見て彼女は、ばんっ、と近くの机を叩き、叫ぶ。
「私のお父さんなのよ!!!!!! もう二週間も帰ってないのよ!!!」
琴音の父のことはアヤトも知っていた。
彼女の父親は考古学者でつい最近、この街の近くの山で見つけた小さな遺跡の調査に単身乗り込んだはずだ。
「どうせ調査が長引いてるんだろ」
考古学の発掘調査は決して一日やそこらで終わる仕事ではない。
遺跡によっては隠し通路のようなものまであり、調査は最低で一〜二週間、長くて数年かかるものまである。
「まだ申請を出してないって言ってもそう言える?」
「…え!?」
そこでアヤトは初めて驚愕を含んだ声を出した。
一般的に遺跡を調査するには発見してから考古学同盟に申請を出すのが原則となっている。
それ以前に自分が発見した遺跡に入るには先行調査といって、申請を出す前に一週間のみ遺跡を軽く調査して、それをレポートにまとめ申請の際に一緒に提出するはずである。
それをしていないと犯罪扱いで同盟から処罰が下され、最悪で同盟追放の可能性も出てくる。
「というわけで助けてよ!!!!!!」
というのが三日前。結局、彼女の依頼を受けて準備したのが二日前。出発して目的地に着いたのが昨日。そして潜入したのが今日。
鋼糸をつたいきったところでアヤトはつぶやいた。
「……貸し1コだからな…」
「わかったわよ」
琴音はそうこたえると、しっかりした足取りで奥へと進んで行った。その姿を見ながらアヤトは、ただ罠が発動しないことを心の中で祈っていた。
そして一時間後----
アヤト達は135回目の罠を突破したところで立ち往生していた……
「どーすんの? これ」
そう言って琴音は目の前を指差した。アヤトにも分ってる、しかしどうしようもないのだ。
「んなこと言われたってなー」
そう言いながらアヤトも目の前を指差す。
彼らの前にあったもの、それは巨大な扉だった。
その扉は三階建ての家くらいの大きさをしていて見る者にその重厚感を押し付けている。
表面はこれと言った特徴がなく長い年月によって全体を草の蔦が被って一見すると扉だとわからない。
「アヤトの技でなんとかしてよー」
駄々をこねるように琴音は言うがアヤトはきっぱりと言い返す。
「さっき貸し1コって言っただろ」
「えー!!」
嫌そうに琴音はこたえると何やらブツブツ言いながら壁の真ん前まで歩み寄る。すると、彼女はくるりとこちらを向き、
「か弱い女の子にこーゆーことさせるつもりー」
意地悪く彼女が言うがアヤトはまったく気にしてない様子で言う。
「お前のどこがか弱いんだ?」
琴音は不機嫌そうにアヤトを睨み、あらためて扉に向く。
そして、構えた。
右腕を腰だめにするような構えであった。琴音の右腕に魔力とは違った『力』が収束してゆく。
静寂を保っている空間がピリピリと小刻みに振動するのが肌で感じられる。そして声を大きく張り上げた。
「いっくわよ---------!!!!!!!!!」
そして右腕を大きく後ろにやり、叫ぶ。
「マキシマム!!!!!!!!!!!」
扉に向かって打たれた拳が轟音を立てて扉に蜘蛛の巣のような亀裂を走らせる。
亀裂は数秒程だけその姿を保ち、激しい崩壊の音と共に扉が崩れた。
言い忘れていたが、彼女----牧島 琴音はものすごい怪力の持ち主である。
その奥は広かった。
扉(のあった場所)の奥には学校の体育館くらいの広いホールだった。
障害物も何もない空間を石作りの床と壁そして天井が包み、ここの静寂を強調させる。
天井には、たくさんの蛍光灯がホールを照らしている。
アヤトと琴音はゆっくりとした足取りで中心まで歩いて行った。
「ねえ、あそこに扉が見えない?」
琴音の問いにアヤトは彼女が指差した方向を見る。すると、琴音の言った通り、そこには一つの扉があった。
「んじゃ、行くか」
そう言った瞬間----
「----------------------!!!!」
首筋に冷たい物が押し当てられた。その感覚にアヤトは身を強ばらせさせる。
肌で感じた感覚からするとおそらくナイフか何かであろうと予想がつく。何者かが、アヤトに気づかれずに背後を取ったのだ。
「っき----!!!!」
琴音の叫びが響くワンテンポ前に----
銀光が閃いた。
<つづくっぽい>