ガコン

 そんな嫌な音がレンガのように敷き詰められた石造りの通路に響いた。

(マジかよ……)

 アヤトは心の中で、ため息混じりにつぶやいた。頭を酷い頭痛が襲う。

 今日何回目だろうか。頭痛を振り解くように頭を振って、大きく息を吸う。

 ゆっくりと瞳を閉じて胸の前で聖印を切る。そして、今度は口に出してつぶやく。

「アーメン」

 瞳を開けると、目の前のごく一般的な旅装束に身を包んだ、年の頃十七、八の少女が凍り付いたように硬直している。

 彼女の手のランプの炎がゆらりと揺れる。

 彼女の名前は『牧島 琴音』。アヤトの幼なじみである。

 でっかいバンダナを、ハチマキ状にしてカチューシャのようにして巻き、さらに腰まで届く長いきつね色の髪を軽く縛るようにして大きなリボンの形を作っている。

 このヘアースタイルに関してアヤトは変だと思っているが、彼女いわく。

「今、流行の最先端よ」

 本人がそう言ってるのなら彼は別に何も言おうとはしなかった。

 まあ、他人もなんにも言わないからいいのであろう

 彼女の顔は可愛らしく、天衣無縫とか天真爛漫とかいった言葉が似合うと彼は思っている。

 しかし、その顔も今や呆然とした顔でこちらを見つめている。

 一方のアヤトは、最近切ってないバイオレットの髪。

 血液のような紅い瞳をした女顔の美形である。もっとも、その顔も呆然としている。

 アヤトは今なお続く激しい頭痛を我慢しながら、できるだけ優しい口調で言う。

「なあ……琴音……」

「や、やーねー、これはちょっとした『お茶目』じゃない」

 アヤトはジト目で睨みながら言い返す。

「ほ〜、その『お茶目』とやらで俺達は七十五回目の罠を作動させたわけだ……」

「う…!!」

「しかも、灯のあるランプを持ってて〜、明らかに出っ張った石を押したのか〜?」

「だ、だから〜」

「さらに! 七十五回とも『全部』お前が作動させた罠なわけだ!!」

 彼はそこまで言ってから思い出した。

 たしか、一番最初の辺りの罠は簡単だった。

 非常シャッターのような壁が降りてくる程度だったからである。それは壊せばいいこと。

 そういえば過去七十四回の中で一番ひどかったのは三十一回目の落とし穴に落ちた後に水攻めを食らった時だった気がする。

 ジト目で彼女を見ると一瞬「うっ」とひるむが、そっと近寄り上目で瞳を潤ませながらこちらを見る。まるで、

「許して」

 と言ってるように。

 幼なじみの性というか男の性というか、この瞳にアヤトは弱いのだ。

「まあ、わざとじゃないしいいよ」

「本当!?」

「ああ」

 瞳を輝かせて言う彼女にアヤトは手を振って答える。

 今までの七十四回もこれにやられたのだ。アヤトは自分が情けないと思う。

 ふと、琴音が訝しげな顔をする。不思議に思っていると、

「ねえ、なんか変な音が聞こえなかった?」

「え?」

 アヤトは思わず聞き返してしまった。確かそんな音は聞こえなかったはずだが…

「どんな音だ?」

「なんか……こう……地鳴りのような感じ……」

 すると、琴音は素早く耳に手を当てる。

「ほら!また聞こえてる!!」

「本当だ…」

 アヤトも聴覚を集中させて音を感じる。

 すると『ごごごごごぉぉぉぉぉ』という音が響いて聞こえてきた。

 アヤトの頭の中に、この音を彼女よりもピッタリくる表現が浮かぶ。

 それは五年前に仲間と遊びに言ったときに聞いた音だ。

 その音はボーリングをしてるときのボーリングの玉を転がしてるときの音に酷似している。

(まさか……な……)

 彼は頭の中に浮かんだ一つの可能性を否定する。

 起こるはずがない、まさか、あまりにも古典的すぎる。

 ごごごごごごごごごごごごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ

 その音も大きくなっている。もう集中しなくても十分聞こえる。彼は下、つまり床を見る。

 その床は緩やかな傾斜になっていた。

(まさか、そんなはずは……)

 アヤトは顔を上げたとき、すべてを一瞬で悟った。

 目の前にいる琴音は呆然とした顔でこちらを見つめていた。

 いや、こちらの後ろの空間を見つめていた。

 彼は走り出した。それにつられるように彼女も走る。

 ごごごごごごごごごごごごごごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!!!

 アヤトは、ひときわ大きく、反響する轟音に現実すべてを否定したくなった。

 走るスピードが上がっていくのは斜面のせいではない。

 ごごごごごごごごごごごごごごごおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!

 さらに大きく鳴り響く音に、アヤトはついに覚悟した。

 アヤトは、ちらりと後ろを見やる。

 その光景を見て、アヤトは地球で昔に見たテレビの映画の『インディー・ジョーンズ』を思い出した。

 それは轟音を叫びながら、すぐ後ろに迫っていた。

 通路ギリギリの大きさの巨大な石の玉が、転がりながらこちらを追いかけている。

「うそだああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!」

 あまりのナンセンスさにアヤトは思わず声を荒げて叫んでいた。もはや頭痛を通り越して心臓が痛い。

 心臓の痛さを押さえながらアヤトは、隣を死の形相で走っている琴音に叫ぶ。

「どおおおおおおしてくれんだああああああああああ!!!!!!!!!」

 しかし、彼女も黙ってはいない。

「許すっていったじゃなああああい!!!!!!!!!!!!!」

「前言撤回だあああああああああ!!!!!!!!!!!!」

「あー!!ひっどーい!!!男に二言はないのよ!!!!!!!!」

「男にだって二言はあるわああああああ!!!!!!!!!!」

「あ!そーだ!!」

 不意に琴音が何かを思いついたらしく、走りながら「ポンッ」と手を打つ。

「ねえ〜、ア・ヤ・ト〜」

「う…なんだよ……?」

 彼女の浮かべた笑みに何か恐ろしい予感を感じたが、とりあえず聞き返す。

「この間おごったキムチチャーハンの貸しを返すからなんとかしてよ!!!」

「ちょっとまてえええええい!!!!あの、でっかい石を壊すのとキムチチャーハンが同じなのかあああああ!?割にあわないだろーが!!!!!!」

 アヤトは全力で抗議したが、彼女は無視を決め込んだらしく、

「あ〜、世界の喧騒が消えてゆく〜」

 などとぼやいている。

「ちっ!!しゃーねーなー!!!!!!」

 多少の(というか、かなりの)不公平なものを感じつつ、アヤトは意識を集中した

 アヤトの魔力が体の中を駆け巡り腕に集中する。

 すると、アヤトの手のひらに不可視のエネルギーが生まれ、陽炎のように空間が揺らめく。

「破壊の」

 手の中の強力な力が、さらに収束してゆく。アヤトはそこで息を吸い込みながら手を挙げる。

 冷たい空気が喉の奥を通り、肺の中を駆け巡る。

 彼は手を大岩に突き出して叫んだ。

 その瞬間、一気に収束した力が弾けるように放たれる。

「慟哭!!!!!!!!!!」

 弾け跳ぶ魔力が、アヤトたちと大岩の間の1〜2メートル程の空間を爆砕させながら大気を揺るがす。

 不可視の強烈な衝撃波はその名の通りに、泣き叫ぶようなかん高い音を立てて大岩に突き刺さった。

 そして爆発。

 大岩は粉々に砕け散り砂埃を巻き上げる。

 しかし、その砂埃は衝撃波の余波によって押し返される。

 その風は思いのほか強く、アヤトの髪と漆黒のハーフコートをなびかせる。

 巨大な振動と音が通路に響くのを聞きながらアヤトは琴音の方を向いた。

「ふう…助かった……」

 琴音は安堵のため息をつきながら、ぺたんとその場に座りこむ。

 どうやら腰が抜けたらしい。ため息をつきながら、アヤトは琴音を起き上がらせた。

「えへへ…アリガト……」

 笑いながら礼を言う彼女を見てアヤトは怪訝そうに眉を細める。

「なんなんだよ…いったい」

「べっつに〜」

 嬉しそうに走って先を行く彼女を眺めつつ、アヤトはコートに付いた砂埃を叩きながら彼女を追うように歩く。

 不意に。

 ガコン

 七十六回目の嫌な音が響いた。

「マジかよ……」

 つい十分前に心の中でつぶやいた言葉を彼はもう一度つぶやいた。

 今度は、はっきりと言葉として。不思議と頭痛や心臓の痛みは感じなかった。

 おそらくこれが『慣れ』というヤツなのであろう。

 ここまで来ると悟りの境地に近いものを感じる。いや、これが悟りなのであろう。

「勘弁してくれよ………」

 言いながら琴音を見る。

 彼女は先程と同じように固まっているかと思ったが、彼女は明るく笑って言う。

「ごめーん、なんかスイッチっぽいの踏んじゃった〜」

 ざしゅっっっっっっ!!!!!!!

 空気を貫くような音が聞こえた。瞬間、アヤトは左右無数

「やっ!!槍ぃぃっっっっ!!!!!!!!」

 琴音がそう叫ぶのを聞いて、アヤトは気づいた。

 黒い棒というのは彼の見間違いで、本当は先端の尖った鉄製の槍であった。

 もちろん当たれば即死である。

「こんのやろおおおおううううううううおおおおおお!!!!!!!!!!!!」

 骨格の構造を無視したような動きで無数の槍を躱していく。

 ほとんど奇跡に近い動きである。

「はー、はー、はー」

 すべての槍を避けたアヤトは、ちらりと横を見やる。

 琴音は疲労困憊といった表情で壁にもたれ掛っている。

 大気を漂う冷たい空気が心地よく肌を撫でる。

 ぱかっ

 その音が何を意味する音なのか一瞬だけ分からなかった。

 一瞬だけという理由は簡単である。二人が一気に落下したからである。

「きゃあああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 今までの中で一番大きくて深い穴が二人を飲み込んだ。

 自由落下していく中で、アヤトはなんだか泣きたくなった。

 

 (つづくみたい)